ホームページ・エッセイ/所説(Va' a fare le pizze!)

このコーナーは、佐藤の雑感や意見をつれづれに載せて行きます。ブログよりも辛口にしたいところですが、さて・・・。

ミニトマト栽培中、実がなりました(赤矢印)
ミニトマト栽培中、実がなりました(赤矢印)

 

 

【その16】
「技術」の進化と「技術本」の退化について

 

 

久しぶりのホームぺージ・エッセイである。まぁ、つらつらと書きたいことがあって、ブログやどのコーナーにも向いていないものをこちらに書くせいか、なかなか所説が定まらないせいか、なかなか更新できないでいる。

 

さて、また今年も梅雨の季節がやってた。むかしならさしずめ、「読書の季節」でもある。

 

この時期なら新入職者の研修も一段落つき、介護・福祉コーナーは、たまに事業所内研修の担当者らしき方々が、いろいろな同テーマの本を買い込んでいく姿をみる半面、通常の同コーナーはガラガラである。

 

この業界の出版傾向は、「柳の下のどじょう(どぜう?ハハハ)」を何匹捕まえられるかであろうか。二番煎じどころか、五番煎じ(?)なども珍しくない。まぁ、介護に限らず、専門書に多い傾向なのかも知れない。

 

佐藤自身も直近で本を出させて頂いたこともあるし、情報取集もせねばならんので、都内の大型書店を散策する機会も増えているのだが、最近、介護・福祉コーナーに「介護技術本」のテキストがたくさん出ているのに目がいった。

 

「ケアマネ等の試験対策本」は、斬新な解説より、根拠がはっきりわかる「オーソドックスな解答」が好まれるから、会社内の人事でたまたまなったような、《通りすがりの担当者》専門知識がまったくない)では、やはり「おざなりの本」になりやすい。興味もなければ、そもそも手に負えないことだろうて。

 

でも、「おざなり本」ならば、上出来である。むしろ、「なおざりな本」も少なからずあるのが現状だ。介護系ではない出版社も多く参入し、本づくりの技量もマチマチなのだ。

 

介護技術の分野は、地味だし、一見制度や法律のように目に見えた動きはなくても、そこはそれ、日々進化している。

 

ちょっと目を離すともう、古い「技術」や「知識」になってしまう。いや~、福祉用具などの名称すら変わったりする(笑)。だから、介護技術講習の講師を務めていたといっても、油断はまかりならないのだ(汗)。

 

介護技術自体も、どんどん進んで行くし、当然、在宅と施設でのやり方も大きく様変わりしていく。施設での介護技術(あるいは逆)を覚えれば、「在宅でもできますよ~」などという、甘く、能天気な指導では済まされないのが現状だ。

 

福祉用具等の発達や、利用者さんの状態の多様化、権利意識や知識の向上、いくら人手不足でも「やればいいんでしょう」的な介護では、ものすごいトラブルに直面する可能性がだんだん高くなっている。リスクマネジメントにもかなり時間を割かないといけない。


でも、リスクマネジメントというものが名ばかり。その実、対策らしい対策をしていないところが多いのではなかろうか。

 

そんな中で、個々で介護技術を覚える、(組織のやり方を)見直すことは、それ自体が最大の「リスクマネジメント」になるのだが、せっかく介護技術を習ったり、本やネットで知識を仕入れても、それが間違っていたのでは何もならない。

 

一口に、介護技術書(本)といっても、日本介護福祉士会などが介護福祉士の実技試験などで認定しているもの、PTやOTさんなどの立場からの特殊技術的なもの、看護技術から流用したもの、介助者の身体を護るために武術などから応用したもの、家庭介護者向けのものなど。まぁ、それはそれはいろいろある(笑)。

 

それぞれが求めるレベルや職種や目的に応じて、使い分けるのが王道であるが、介護職の初心者として覚えるならば、我流や特殊技術ではなく、まず日本介護福祉士会などが推奨する技術を学んでおくことが望ましい。

 

古い介護技術本の中にも、古典だが定評があるものもあり、その技術は、今でも使えないこともないものもある。しかし、新しいもので同じようなレベルで、わかりやすい本が見つかれば、技術指導者でもない限り、研究や比較する必要がないのなら、新しいもののほうが、二度手間にならなくて済む。

 

当たり前のことであるが、介護技術本は、解説が大事である。しかし、書く側からすれば、実地ではなんなくやれても、そのポイントを少ない枚数の本で、文章化して示すのはかなりの難作業なのだ。

 

だからこそ、多くの介護技術本は、写真やイラストに頼り、多様する。効果的な写真なら確かに理解に大いに役立つ。しかも、その多くが、著者自身でモデルを使って、介護技術を披露していたりする(よくまぁ・・・)。

 

写真の恐いところは、同業者が見れば、その著者の技術のうまい、下手が一目瞭然になることである。

 

よほどの自信がない限り、自分が写真で見せるのはやめたほうがいいかもしれない(笑)。そんなこんなで、ブツブツいいながら、書店の書架に懐かしい知人の名前を見つけた。

 

「おお、がんばってるなぁ!」と思う。

 

我々のような講師業をやっている者は、仲間でも、ましてや知らない人の諸技術を、お互いなかなか簡単に批判はしにくい。

 

とは言え、その前提として、

 

「それはそれなりの(その方法も)アリだな」

「(その方法で)悪いところもあるが良いところもある」

 

など、「自己満足」が得られる答えを探し、なっとくできている場合でなければならない(笑)。

 

佐藤も、行政などには厳しく意見を述べたりしていても、同業者の「その人なり」のやり方には、多少の不満を覚えつつ、そうそう批判をするのは控えているつもりである(笑)。

 

しかし、そんな佐藤でも嫌いな本は、 「○○式の介護技術」あるいは「×○式介護技術」などと、いかにもオリジナルを銘打っている本である。

 

我々の介護技術で《純然たるオリジナル》といえるものはごくごく少数で有ろう。いろいろな「先達」の知識を借りて、そこから「わずか」に積み上げているものがほとんどである。それを自分でさも考え出したように書くのはいささか傲慢ではないだろうか。

 

しかも、ほとんどが、「おばあちゃんの知恵袋」的なレベルのものであり、ほとんど科学的根拠(エビデンス)や検証例もなかったりするものである。

 

個人的研修会でやる分には構わないが、対象がやがては介護福祉士を取ろうと思う人達であれば、そんな「介護技術」の知識は邪魔でしかならない。利用者さんにとっても危険極まりないシロモノでしかない。

 

もちろん、どんな王道的な介護技術であっても、完璧ではない。なんせ、利用者の身体状況も本人の要望も様々、介助者の技術や体格も様々である。「これが正しい」といいうるものは、ないかも知れない。

 

とは言え、介護のプロとして働くのならば、介護福祉士の実務者研修や、学校などで指導する内容は「基本のキ」から学ばなくてはならない。ここがブレてしまったらいけないのだ。

 

本棚にあるこれらの「○○式の介護技術」「×○式介護技術」なるものは、これらの基本のキをおさえた上で、自己責任で応用できる者が学ぶか学ばないかを判断する範囲のものだろう(これはあらゆるレベルでお勧めできないが・・・)。

 

「このような状況下では、このような方法も有効」とか、「介護者の身長の高低に合わせて、このような方法も取り入れられる」という、中級者以上を対象とした技術指南書なのだろうと思いページを開いてみた。

 

びっくり!そしてがっかり。さらに怒りが湧いてきた。なんと、「初心者向け」であったからだ。これはいけない。

 

介護技術も向上している中で、「まだ、こんなことをやっているのか!」というやり方であった。いやいや、これ、もしかしたら、かなりむかしに出た本かもしれない、と思い直し、奥付を見た。それが、また、新刊だったりしたわけだ。

 

おいおい、〇〇さん、あなた大丈夫かい?と心配になった。

 

なぜならば、佐藤も、介護技術も指導しており、常に介護福祉士のテキストや初任者研修テキストなどをにも目を配り、より新しい王道の技術の確認に努めているからだ。

 

たとえ10年前に出た本であったとしても、この本の内容を肯定する気にはまったくなれないのだ。もしや、著者のまわりにいる介護系の仲間が「ド素人」ばかりなのか?と疑いたくなる。

 

悪いが、内容が古いどころか、そもそも、介護技術を利用者さんに提供したことがあるのかどうかも怪しいくらいだ(笑)。さらに、解説に添えてある文章が、また、気になるのだ。

 

執筆者が、写真等の解説を付けているのだとは思うのだが・・・。まぁ、これを使って、著者が研修する分には、そもそも、止める権利もないし、本人しだいで、どうにでも言葉のシャワーで誤魔化せるかもしれない。

 

しかし、他の講師がこれを使うのならば、途中からこの本から外れて指導していかなければならないだろう。

 

現場と同じく、講師になるような人間でも、10年経ったからといって、知識や技術が勝手に向上していくなんてことはない、という当たり前のことを再認識した。

 

本屋は宝の山でもあり、また、同時にゴミの山でもある。佐藤も、研修講師として、著者として、自戒せねばならないな。

 

(つづくかも)


【その15】

新総合事業における生活支援サービスについて考える

 

 

国は、平成27年から予防給付のうち、介護保険制度の訪問介護・通所介護について、市町村で地域の実情に応じた取り組みができるように、地域支援事業へ移行させることを表明した。

 

この取り組みは、平成29年度までに実施できるものとして、市町村に対して猶予期間を設けている。一方で、すでに、地域支援事業を実施している市町村の事例については、参考事例としてホームページ(厚生労働省)に掲載している。

 

ここのところ、地域支援事業への取り組みが活発化しており、都内でも各市区町村が担い手に対して研修を始めている。

 

まず、ここでは、その訪問介護における生活支援サービスとは何かについて考えてみる。

 

厚生労働省老健局振興課から出されている「介護予防・日常生活支援総合事業の基本的な考え方」では、現行の訪問介護が行っているサービスは、下記のように分類されている。

 

(1)現行の訪問介護相当なサービス
【訪問介護】
 サービス内容:身体介護と生活援助の提供。
 サービス提供者:現状の訪問介護員。

 

(2)多様なサービス
【訪問型サービスA】(緩和した基準によるサービス)
 サービス内容:生活援助。
 サービス提供者:NPO、民間事業者による生活支援サービス。


【訪問型サービスB】(住民主体による支援)
 サービス内容:ゴミ出し等の生活支援サービス。
 サービス提供者:住民ボランティア。

 

(1)は専門サービスに「ふさわしい単価」(←ここが曲者)を設定し、専門的なサービスを必要とする人に対して、その専門的なサービスの提供を行うというもの。

 

この利用者は、すでにサービスを利用している利用者であり、「サービス利用の継続」(旧制度)が必要な方として、「認知機能の低下により日常生活に支障がある症状・行動を伴う者」「退院直後で状態が変化しやすく、専門的なサービスが特に必要な者」等として、利用者の状態を限定している。

※状態を踏まえながら、現行(旧制度になるが)のサービスの利用から多様なサービスの利用を促進していくことが重要。

 

(2)は、多様なサービスとして、住民主体による「多様な単価」で、住民主体な「低廉な単価」(←ここが重要)の設定を行うものであり、単価が低い場合には、利用料金も低減されるというものである。

 

介護保険制度下では、訪問介護事業所で主たる介護業務を行う、訪問介護員は、ヘルパー2級以上の資格がないと事業所では勤めることができない。つまり既存の訪問介護事業所で働いているヘルパーは、通常「ヘルパー2級」以上の資格を持っているわけである。

 

もちろん、各市区町村は、現在介護給付のサービスを提供している事業者が、この事業所に参画することは拒んでいない。いや、むしろ引き込みたいと思われる。

 

しかるに、この「訪問型サービスA」においては、このヘルパー2級以上の資格を有さなくても働くことが可能なのだ。もちろん、各市町村では、一般公募を行った後、「各市町村が定めた一定の研修」(←ここが曲者)を行い、最低限のして良いこと、してはいけないことなどの説明は行っている(はず)。

 

余談だが、先だって起こされた「大事件」は特別な人間が行ったとしても、元専門職でも「最低限のして良いこと、してはいけないこと」がわかっているとは限らない。ゆるい研修で、専門職と同じことを安い値段で要求することは難しいのだが・・・。

 

その後、ヘルパー訪問介護員と区別)希望者は、各訪問介護事業所と契約を結び、サービス提供責任者等の指導のもと、「訪問型サービスA」のサービスを実施することになる。

身体介護に区分されている、もうひとつの「訪問型サービスB」(住民主体による支援)は、生活支援コーディネーター(地域支え合い推進員)を置くなどを行うことを考えているというので、ここではふれない。

 

ここで、取り上げたいのは、「訪問型サービスA」である。

 

ここで一定の教育を受けた人々が行う仕事は、掃除・洗濯・買い物・調理などのいわゆる「生活援助」のごとく書かれているが、この支援、実は介護給付(介護保険制度)では、「生活援助」ではなく、「自立生活支援のための見守り的援助(自立支援、ADL向上の観点から安全を確保しつつ常時介助できる状態で行う見守り等)」とされる「身体介護」(←ここが重要)にあたる支援なのだ。

 

なぜならば、在宅生活の中で提供される支援は、利用者の価値観や生き方を尊重する「個別性の高い援助」でなければならないからだ。

 

たとえば、ホームドラマで観るような、一家のご主人が出かけている間に、掃除・洗濯・買い物・調理をする「家政婦さん」とは違って、この「訪問型サービスA」のサービスを利用する方々は、ヘルパーがいる間には、常にそばにいる。いなければ利用できないのだ。

 

そこでヘルパーに、利用者さんは「ああしてほしい、こうしてほしい」と自分の希望を伝える、伝えたくなる。ヘルパーは「ああするのですね、こうするのですね」と本人の意向に沿った援助を行っていく。

 

時には、利用者の意向に沿うことができないこともある。すると、利用者さんからは「だめだめ、こうするの!」と注意を受けたり、正しいやり方を教えて下さる方もいる。このような場面でこそ、ヘルパーの技量が出てくる。

 

(「なんだ、自分でできるんなら自分でやればいいじゃない!」)と思い(なかなか言えないが)、それを態度に出すか、そのダメ出しに対して、真摯にかどうかはわからないが、とにかく謝り、教えて下さったことについては、「なるほど、そのようにすればよかったのですね。よくわかりました。教えてくださりありがとうございます!」と感謝を伝えることができるかである。

 

また、「あら、なかなかうまいじゃない」などとほめてくださったり、時には「助かったわ、ありがとう」と感謝を述べてくださったりすることもある。

 

そのような時に、利用者からの感謝の言葉を素直にと受け取らない、受け取れないヘルパーもいる。

 

「いえいえ、これが私の仕事ですから!」と言い切ってしまうか、利用者さんから「ありがとう」と感謝の意を伝えられたら、「○○さんのお役に立てたのなら私もうれしいです!ありがとうございますぅぅ!!」と伝えられるかである。

 

実は、この、利用者自身が自らの希望を伝えたり、ヘルパーに指導したり、ヘルパーのしていることにダメ出しをしたり、感謝を伝えたりすることは、これ自体が「社会性の維持・向上につながる援助」になっているのだ(簡単に言うと意欲の向上への支援)。

 

この地域総合支援事業の利用者の多くは、現在の生活の中で、都会だけではなく、地方でも、おおむね孤独感や疎外感を味わっている方が多いだろう。なにしろ、若い人がすくなくなっているのだ。

 

だからこそ、ヘルパーさんの訪問(かかわり)が必要になってくる。利用者さんは、みな人生の先輩であり、支援している我々もやがては行く道の先達(先にあるいている人)であるからだ。

 

もしかしたら、このような「素直な援助」は、介護保険制度にどっぷりと浸かった、訪問介護員(ケアプラン通りに動かないといけない人々)にはできないのかもしれない。

 

むしろ、「介護保険って何?」「自立支援とは?」などと、法律や制度論に振り回されない、有資格者ではない方のほうが、社会性(一般常識)を保ったかかわりができるのかも知れないな。専門性も何もない寂しい話になってしまうが・・・。

 

いずれにせよ。訪問介護の専門家が提供する「通常の訪問介護」でも、基準を緩和した、「訪問型サービスA」のヘルパーでも、介護保険制度が目指していることは、利用者の自立支援であり、介護予防であるということにはなんら変わりはない。ただ、財源がなくなってきた、というだけの話である(←ここが残念)

 

くれぐれも、本筋を忘れずに、危険回避を怠らず、怪我や転倒には注意をして欲しい。

 

さてさて、介護職員が足りないと言われている現在、これらの人々を採用する事業所には、新たに手をあげた一般人が、少しでも長く働ける環境を整備して欲しいと切に願う。でなければ続くわけがない。

 

(つづくかいな?)

 

 

 

【その14】

介護現場がICFの言語を意識することで、記録が充実する!

 

 

 

ほんに久しぶりの更新である。佐藤は、平成27年介護報酬改定に先立って行われていた、社会保障審議会介護給付費分科会で示されたひとつの図を見て驚愕した(大袈裟?)。

 

それは、平成26(2014)年8月27日に行われた、第106回社会保障審議会介護給付費分科会で提出された「資料1」の図である。その図には「居宅サービスに求められる機能」として、「心身機能の維持向上」「活動の維持向上」「社会参加の促進」+生活援助。これらが機能することで、家族負担の軽減がはかれると示されていたからだ。

 

厚生労働省が、それまでは「生活機能の維持向上をはかる」などとしていた文言を、この図の中で細分化し、ICF(国際生活機能分類)の相関図で示している言語によって、居宅サービスに求められる機能としていたのだ。

 

ふふん。ならば、介護支援専門員が作成する、居宅サービス計画や施設サービス計画でも、この「心身機能の維持向上」「活動の維持向上」「社会参加の促進」+生活援助と、家族負担の軽減がはかることができるようにプランニングされる必要があるのではないか!

 

佐藤は、これに先立ち、平成26年6月17日に「介護保険情報Vol.379」「課題整理総括表・評価表」の活用の手引きなるものを参考に、課題整理総括表を作成してみた。

 

いや~、困った。この手引き、いつものように、厚労省お得意のアリバイ作りのためか、はたまた自己防衛の極致(突っ込まれることを避ける)、あるいは単に製作者側の理解不足かはわからないが、はっきり言って「見通し欄」に何をどのように書いて良いのか、この手引きを読み込んでも、とんとわからないのだ。

 

そこで、佐藤は、思い切って、この「見通し欄」に、ICF(国際生活機能分類)の言語を入れ、それぞれについての見通しを考えてみたのである。すると、ドンピシャ! これが、「利用者の自立した日常生活を妨げている要因」の解説案として成り立ってしまったのである(笑)。

 

もっとも、ICF(国際生活機能分類)が、人間の生活機能を分類して作成された分類法なのだから当然と言えば、至極当然のことではあるのだが・・・。

 

国が導入した「課題整理総括表」や東京都が「前都知事」になる予定の舛添 要一さんよろしく、好き勝手に費用をかけて作ったシロモノ(?)の「保険者と介護支援専門員が共に行うケアマネジメントの質のガイドライン」とやらで行うつもり(都内でもやっているところをあまり聞かないが)の、「リ・アセスメントシート」でも、そこから導かれる計画は、「居宅サービスに求められる機能」を、居宅サービスが果たせるような計画になっている必要があると痛感するからだ。

 

なぜならば、居宅サービス事業所や介護職員は、居宅・施設サービス計画に示された「短期目標」の克服に向けて必要な援助を提供している(はず)からである。まぁプランの意図がまるで伝わらないものも多いのだが・・・。

 

そして、利用者に必要な援助を提供し、一定の期間経過後に行うモニタリングにおいて、利用者の「心身機能・活動・参加・家族負担の軽減」などを再アセスメントし、その結果、 「心身機能の維持向上」「活動の維持向上」「社会参加の促進」「家族負担の軽減」がはかられているかの評価を出すのである。おのずと、課題が各分野にわかれていないと評価の出しようがないという事態になりかねない。

 

さて、このような時代であるが、現場の能力は二極化してしまっている。「上層部」が介護現場を根拠のない方針や方法でなんとなく運営しているからだろう。

 

介護現場に目を向けてみると、いまだに働いている人々が「介護記録の書き方」がわからなくて困っている。それは「法令遵守で、こういうふうに書く」という見本(手本)を示さないからだ。たとえ示しても、報酬返還や取り消しになるようなシロモノでは、とても見本にはなりえないし、よくわかってないから、そもそも示すことさえできないのだろう。 

 

その原因の深部には、介護福祉士の育成段階で、教育過程(特に介護保険草創期)に携わっている講師たちの多くが医療関係者であるということにあるだろう。

 

介護の歴史は、ナイチンゲールの時代までさかのぼれるが、それは隅っこにおいとく。なんと、今の今まで、看護記録介護記録の違いを説明できる先生が登場しなかったことによるだろう。

 

さて、この看護記録介護記録の違いをなんとICF(国際生活機能分類)の相関図が、ものの見事に表現してくれたのである。介護支援専門員が、ICFの言語を意識した計画を作成してくれれば、それに対応して作成する各サービス計画もおのずと、生活機能を意識した計画になってくる。

 

そうなると、個別援助計画に沿ってサービスを提供する、介護職の記録も「心身機能の記録」「活動の記録」「参加の記録」「家族負担の軽減に対する記録」と分類されるはずである。ただし、当然、介護職員は、この援助計画に沿って、援助を行うはずなのだが、そこはほら、利用者の、その時々の「その人らしさ」という、介護界の「憲法九条」みたいなもの(もちろん、良し悪しではない)があるし、介護側の未熟さもある。簡単に金太郎あめのようには行かないのである。

 

そこで、1人ひとりの介護職が、その時々の説明の仕方や対応の仕方に変化をもたらせて、必要な援助を遂行する。これこそが、介護記録に記載されなければならない内容というわけである。

 

今年、佐藤が行っている「介護記録研修」は、このICFの言語を意識した記録の書き方である。もちろん、研修は、佐藤が作成した事例を用いて展開される。

 

《佐藤が提示する帳票類》

 ①アセスメントチェックポイントシート

 ②課題整理総括表

 ③施設サービス計画書

 ④介護職が作成する個別援助計画書

 ⑤個別援助計画書(モニタリング及び評価付き💛

 ⑥評価表

 

 などなど。

 

そして、各サービス計画から導かれた利用者に必要な援助内容を、介護職が利用者に対して提供している場面を「ものがたり」化して課題とする。良かったか、悪かったかは別にして「ものがたり」にならない人生なんてないし、その人なりのストーリーのない生活なんて、刑務所と変わらない。

 

ちなみに入浴回数は、刑務所が週3回、特養が多くが週2回とされる。自分で入れる、入れないの区別はあるにせよ、特養の回数はすべて「提供者側」の理由に他ならないのだ。どこが「その人らしく」なのだろう。

 

話を戻す。

 

参加者は、その「ものがたり」を読み、自分がその介護職だったら、この場面の記録をどのように記録するかを考えて書く。まずは、自分で考えて、その後グループメンバーで考えてみる。

 

ここでいう「心身機能」の記録とは、「病気や体調に関すること」の記録である。具体的には、血圧・体温・体重・身長・排泄量やその形状、食事や水分摂取量、褥瘡の有無、清潔行為の有無などであり、体調などに変わりがない、あるいはBP138/78 体重45㎏・身長158㎝、排便+飲水量1500㏄、などなど。

 

これらの記録は、利用者の健康状態を示すデータの蓄積として、医療職や主治医などと、かかわる時に必要となる記録である。

 

ここでいう「活動」の記録とは、「ADL(日常生活動作)」「IADL(手段的日常生活動作)」を指している。利用者の多くはIADLに関しては、ほとんど他者がしている場合が多い。ここでは活動をADLとみなし、ADLに関する記録とする。当然、この日常生活動作の能力も、1人ひとり違うのである。

 

そこで、詳細なアセスメント(「していること」「できること」)がなさられ、介護職は利用者のできる能力を伸ばせるように、おのれの介護技術を駆使するわけである。介護職は利用者のADLに応じて、その時々に行った介護技術を記録に残すことで、職員同士の情報共有化ができるのだ。

 

さて、ここでいう「参加」の記録とは、利用者の社会参加の状況や、他者との交流、利用者が自分の役割を果たすことなどなどである。

 

この役割には、主婦や家長としての役割は、IADLが含まれてくる。さらに、利用者の協力動作も含まれるし、介護職が行った利用者の他者との関わりや役割の獲得へ向けた取り組みなどの関わり(共感・共有・励まし・称賛)の記録も必要となる。

 

◆「背景因子(環境因子・個人因子)」の記録

その方の価値観(個人因子)は、生活機能すべてに現れてくる。ここでいう「環境」の記録は、家族や地域との関わりを意識した記録である。

 

介護職が目にした家族との面会時の様子、家族からの意見や要望、それに対して応じた内容。または、地域に出向いた時の利用者の様子、地域の人々との関わりなど。人々の関わりは「参加」の記録としても良い。

 

宣伝になってしまい恐縮で有るが、佐藤が行っている研修の参加者は、佐藤が用意した「ものがたり」を読み、記録を書いてみる。その内容は「〇〇していて、楽しそうでした」などという、「夏休みの観察日記」のような安易な記録にはならない。

 

そう、看護記録介護記録の違いとは、単に観察した記録ではなく、介護職、利用者の「活動」や「参加」及び「環境」に働いかけた介護、すなわち「介(はさまる。間にはさむ。また、はさまる)」「護(やさしい言葉をかけ、自分の手もとにつかんでおいて、まもるという意味)」をした、かかわりの記録であり、心身機能の記録のようにデータを残すような簡潔な記録ではないのである。・・・まぁ本来「介」の字は良い意味では使わないのだが。

 

このような研修に参加してもなお「簡潔な記録」の書き方を声高に述べる方がいる。そのような方は、もしかしたら、「井の中の蛙大海を知らず」なのかも知れない。付会(後世の付けたし)であっても、「その深きを知る」ならば、まだ救われるのだが・・・。

 

実際に研修会で、「私のあたまの中に(詳しい状況は)入っているので、(詳しくは書かないで)簡潔に書けばいいと思います。何かあれば(私に)聞いてくれれば、細かく答えられますから」という方がいた。

 

ハハハ。あたまは冷蔵庫ではないから、他者が「勝手に出し入れ」なんかできない。そもそも、施設で情報を「共有しょう」という意思や協調性が感じられない。ただ、めんどくさいのだろう。

 

でも、もしその方が辞めた場合(しかも円満でなく)や、急の事故や何かで引継ぎができなかった場合はどうするのか? これは縁起の善し悪しの問題ではなく、やはりどんなに有意義なデータでも、個人のあたまの内にあっては宝の持ち腐れであろう。 

 

《蛇足》

「井の中の蛙大海を知らず されどその深さを知る」前半は、中国の『荘子』の一節と言われ、後半部は、日本人が付けたしたと追われる。

 

「されど空の深きを知る」と言うのも多く流布しているが、それではただの負け惜しみにしか読むことができない。でも、人生は人それぞれ、広い世界に出ていろんな知識を得るのもいいと思うし、ひとつの(狭い)世界の中で、その知識を深めて行くのも悪いことではないだろう。そもそも他者が決めることではないのだ。

 

もし、広き世界に出ていくことだけが素晴らしいというのなら、プロ・スポーツでも、企業でも、国内にあまり魅力を感じない若者たちが世界に出て行く(流失する)のは当然になるし、それを止めるのはおかしいことになる。なんせ、彼らは「大海」に出て行くのだから。

 

魅力のない、狭い世界に押し留めようとするのは、残されるものの自分勝手な思いでしかなくなるが、それはどうだろうか? 人によっては、その場所で頑張り、その深さを極めることもまた楽しからずや、ではなかろうか。ではでは。 

 

(なんとかつづく・・・か)



【その13】
やはり、軽度者における訪問介護が
給付から外されるというわけだ

 

 

久しぶりの所説である。当所説の【その12】(以下に掲載済み)で述べていたことがいきなり現実になりそうなんで、思わず書いてしまった。

 

2016年1月20日読売新聞の1面に、

 

厚生労働省は、介護保険制度で「要介護1、2」と認定された軽度者向けサービスを、大幅に見直す方針を固めたとし、具体的には、調理、買い物といった生活援助サービスを保険の給付対象から外すことを検討する。

 

2月にも始まる社会保障審議会で議論を開始。年内に改革案をまとめて、2017年度にも実施に移す。

 

とあった。

 

この訪問介護の軽度者における生活援助を給付から外す動きは、2015年4月27日財務省からすでに介護給付から外す方向性が示されていた。

 

これに対し、厚労省2015年11月16日経済・財政一体改革推進委員会・第5回 社会保障ワーキング・グループにおいて、社会保障分野の工程表策定作業に向けた関係省の意見(現時点版)を提出。

 

そこでは、

 

平成26年の介護保険法改正に基づき、要支援者に対する訪問介護・通所介護の保険給付を見直し、平成29年4月から全ての市町村で、多様な担い手による多様なサービスで行う介護予防・日常生活支援総合事業に移行することとしており、先進事例を収集、分析するとともに、市町村職員に対する説明会を開催すること等により円滑な移行を促進する。

 

としていた。

 

佐藤は、厚労省がこのような意見を出していたので、軽度者の「生活援助」外しは、いずれそうなるとしても、先延ばしになるかも、などと高を括っていた。

 

「甘かった」

 

やはり、それは甘い考えであったなぁ。

 

佐藤は、常日頃から軽度者に対する「調理、掃除、洗濯」等は、家事代行の「生活援助」ではないということを強調してきた。

 

なぜならば、軽度者における「調理、掃除、洗濯」等は、老計第10号平成12年3月17日厚生省老人保健福祉局老人福祉計画課長名で、「訪問介護におけるサービス行為ごとの区分等について 」において、「身体介護」の中の「1-6 自立生活支援のための見守り的援助(自立支援、ADL向上の観点から安全を確保しつつ常時介助できる状態で行う見守り等)」として、示されているのだ。

 

具体的には、


利用者と一緒に手助けしながら行う調理(安全確認の声かけ、疲労の確認を含む) 。
入浴、更衣等の見守り(必要に応じて行う介助、転倒予防のための声かけ、気分の確認などを含む)。
ベッドの出入り時など自立を促すための声かけ(声かけや見守り中心で必要な時だけ介助)。
移動時、転倒しないように側について歩く(介護は必要時だけで、事故がないように常に見守る) 。
車イスでの移動介助を行って店に行き、本人が自ら品物を選べるよう援助。
洗濯物をいっしょに干したり、たたんだりすることにより自立支援を促すとともに、転倒予防等のための見守り・声かけを行う。
認知症の高齢者の方といっしょに冷蔵庫のなかの整理等を行うことにより、生活歴の喚起を促す。

 

佐藤は、一貫して軽度者に対する生活援助はあり得ないということを、古くは平成17年の介護福祉学会でも発表した。

 

洗濯ものを一緒に干す「勝浦さん事例」(動画)だったり、近々は、主婦の役割を取り戻すとして、「玉前さん事例」を用いて、研修などで主張してきた。

 

なぜ、軽度者に対する生活援助があり得ないか。

 

多くの軽度者は、ジーッとしてはいない、ということだ。ましてや、その方の価値観を尊重した支援を行うためには、相当な気遣いも必要になってくる。

 

ただ、この老計第10号が、介護支援専門員の研修時に、どのくらい浸透させてきたかは不明である。

 

なぜなら、その多くの介護支援専門員が、掃除や洗濯や調理は「生活援助」だと認識しているからである。

 

ううん、現場をやらない介護支援専門員の専門性ってなんなのだろうか。確かに相談援助職なのだから、ソーシャルワークは必要である。

 

しかし、その殻に入ってしまって、どうするのか。

 

介護の現場でやるべき手順を知らんで、どうやってプランを立てるのか。知らんから、できないことをプランに入れて、結局現場ができないプランになっているのではないか。

 

これでは適正なプランなど夢のまた夢。

 

また、それ以上に問題なのが、一方の訪問介護のサービス提供責任者自身である。

 

なかにはこの老計第10号の存在を知らずに「サービス提供をしている」のも事実なのだ。なにしろ、「生活援助」「身体介護」とでは介護報酬の額が違う。

 

このことから、利用者サイドでも、自分がヘルパーと一緒にする(めんどくさいよ)と、費用が高くなり、ヘルパー任せにしたほうが費用が安い(楽だし)のならば、当然そちらを選ぶだろう。

 

その結果、週7日のうち、1日か2日ヘルパーに来てもらって、調理してもらったり、掃除をしてもらうというサービスを組み込んでしまったのである。これじゃいつ「餌食」になっても仕方がない。

 

今更、このような愚痴をこぼしても仕方がないのだが。

 

介護支援専門員も、ヘルパーステーションも、利用者や家族が理解できるように、「1-6 自立生活支援のための見守り的援助」について説明し、現行の「調理・洗濯」の代替えサービスを、少しでも利用者が「その人らしく行えるように」計画の見直しが必要なのではないだろうか。

 

It is never too late to mend.

(改めるということに、遅すぎるということはない。)


まさにこの心境である。


(つづく)


【その12】
軽度者に対する生活援助が原則自己負担になる?
~財政制度等審議会財政制度分科会の提案に危惧する~

 


財務省は、4月27日、財務相の諮問機関である財政制度等審議会の財政制度分科会に、社会保障関係費の伸びの抑制策を提示した。

 

https://www.mof.go.jp/about_mof/councils/fiscal_system_council/sub-of_fiscal_system/proceedings/material/zaiseia270427/01.pdf

 


この提案では、今後5年間の社会保障費の伸びを、2兆円強から2.5兆円の範囲内に抑えるとしている。


これを実現するための、医療・介護等に関する制度改革・効率化の具体案が打ち出された。

 


○介護保険における軽度者に対する生活援助サービス等のあり方
現在、要介護者に対する訪問介護は「身体介護」と「生活援助」に分けられているが、この間、要介護5では、生活援助のみの利用件数は5%未満であるのに対し、要介護1では、生活援助のみの利用件数が、全件数の5割を超えている。


また、生活援助の内容は掃除の占める割合が最も多く、次に一般的な調理・配膳が多い。
※生活援助1回(45分以上)の利用で、利用者負担(1割負担)は250円程度である。

 

そこで、軽度者に対する生活援助は、日常生活で通常負担する費用であり、原則自己負担(一部補助)の仕組みに切り変える必要がある。

 

また、2015(平成27)年度から地域支援事業へ移行した予防給付(訪問介護・通所介護)についても同様の観点から見直しを行う必要があるのだ。

 

その結果、事業所間の価格競争の促進と、サービスの効率化、産業の発展が図られる効果も期待できる。


【佐藤の着眼点】
「介護支援専門員及び訪問介護事業所が区分について正しく認識していたのか」

 

訪問介護における「身体介護」と「生活援助」の区分については、平成12年厚生省老人保健福祉局老人福祉計画課長が、各都道府県介護保険主幹部にあてた通知が「老計第10号」にて明確に示されている。

 

「身体介護」とは


(1)利用者の身体に直接接触して行う介助サービス
(そのために必要となる準備、後かたづけ等の一連の行為を含む。)


(2)利用者の日常生活動作能力(ADL)や意欲の向上のために利用者と共に行う自立支援のためのサービス

 


(3)その他専門的知識・技術
(介護を要する状態となった要因である心身の障害や疾病等に伴って、必要となる特段の専門的配慮をもって行う利用者の日常生活上・社会生活上のためのサービスをいう。仮に、介護等を要する状態が解消されたならば、不要となる行為であるということができる。)


「生活援助」とは


身体介護以外の訪問介護であって、掃除、洗濯、調理などの日常生活の援助(そのために必要な一連の行為を含む)であり、利用者が単身、家族が障害・疾病等のため、本人や家族が家事を行うことが困難な場合に行われるものをいう。
(生活援助は、本人の代行的なサービスとして位置づけることができ、仮に、介護等を要する状態が解消されたとしたならば、本人が自身で行うことが基本となる行為であるということができる。)


老計第10号では、このように「訪問介護におけるサービス行為ごとの区分及び個々のサービス行為の一連の流れを例示したので、訪問介護計画及び居宅サービス計画(ケアプラン)を作成する際の参考として活用されたい。」?としている。

 


佐藤は、各種の研修を通して、多くの訪問介護事業所や居宅介護支援事業所で働く専門職(サービス提供責任者・介護支援専門員)と関わってきたのだが、しかし、これらの専門職が、この老計第10号の存在を知らない者が多いことに驚いた。いやもう多すぎて驚けないのだが。

 

最新技術はもちろん、新制度、介護や福祉等での理念や哲学もみな重要である。少なくとも不要とは言わない。

 

しかし、親交のあるケアマネたちがカクカク論じている場面に出くわすと、介護保険制度の過去の基本的事項(老計第10号等)すら踏まえていないケアマネがまともなケアプラン等作れるのだろうか?

もちろん、作れていない。全員ではないが、ほぼ、全員である(笑)。

 


佐藤は、彼らのような難しい理念や哲学等は知る由もないが(笑)、高度(かどうかも疑わしいが)な理論を述べていても、その人が作成するケアプランを見てみれば、そのケアマネさんの「ケアマネ力(りょく)」は見当がつく。


レベルが低い、自信がないプランであれば、事例検討会等に持参する勇気はないだろう。個人情報保護のためなどという人もいるがそれは言い訳がほとんどである。

 

加えて、利用者やサービス担当者が理解できないケアプランを作ってどうするのだ? 理屈の言い合いなんて、ケアマネ同好会でも作って、そこでやってくれれば有り難いと思う。少なくとも現場でやらないでほしい。


また、一、二年で配置替えになるお役所の職員が、ケアマネジャーに「ケアプラン指導」ができると思っているのが恐ろしい。

 

いや~、もう少し現場にリスペクトが持てないのだろうか?

 

例えれば、東京のテレビ局のスタジオで、遠く離れた中東情勢を論じるようなものだ。もう、話半分で聞いておくしかないだろうな。


さて、話が逸れたので戻そう。


プランニングをするべき人々が「訪問介護におけるサービス行為等の区分等」を知らなかったことにより、本例であれば、訪問介護の専門家(訪問介護員)が、軽度の利用者に対して提供していたサービスが、


本来、身体介護の(2)利用者の日常生活動作能力(ADL)や意欲の向上のために利用者と共に行う自立支援のためのサービスである。


そのはずのものが、訪問介護のサービス提供責任者は、介護支援専門員が作成する、居宅サービス計画のサービス内容欄に記載される「掃除、洗濯、調理」等の名称から判断してしまい、身体介護以外の訪問介護と考えられ、「掃除、洗濯、調理などの日常生活の援助」として提供されたのではないかと考えられる。


ただし、実際に援助する訪問介護員としては、軽度者に対して行う、これらの行為を「本人の代行的なサービス」として実施してきたわけではないだろう。


そこには、介護のプロフェッショナル(専門職)として、


「○○さんらしい掃除」
「○○さんの好みに合わせた調理」
「○○さんが干した気持ちに慣れるような洗濯」


など。常に、利用者に対しては、ある時は「これはどうしますか」とたずねたり、またある時は「こちらの方が良いのでは」と提案したり、またまた「うまくできましたね」とほめ、「がんばって」と励ましたりする。


さらに「体調が良いみたいだから一緒にしませんか」と誘ってみたり「転ばないように注意を喚起し、転ぶことが無いように見守ったり、支えるなどの介助」をしていたはずなのだ。

 

佐藤は、これらの訪問介護員がしている援助は、まぎれもなく、「本人の代行的なサービス」ではない、「意欲の向上のために利用者と共に行う自立支援のためのサービス」であったろうと思うのだ。


もちろん、介護報酬では、身体介護と生活援助では、介護報酬上の単価に差がある。そこで、介護支援専門員が支給限度額に振り回されてしまいやすくなる。


利用者から、


「ヘルパーさんと一緒にやったほうが費用が高くなるのは、おかしいのでは?」


という言葉に、介護支援専門員も、訪問介護事業所もひるんでしまうのだろう。なんせ給付について正しく説明できないのだ。それが利用者の言いなりになってしまう根源なのかも知れない。


それら「蛮行」の集積の結果というか、ここにきて平成12年から続いてきた、訪問介護の「生活援助」の存続があやうい状況になってきた。


さらに、まだ、多くの市区町村で、具体的な案も示されていない。地域支援事業へ移行した予防給付(訪問介護・通所介護)についても、同様の観点から見直しを行う必要があることが示唆されているのだ。これは十分気をつけないといけない。


今回示された内容は、夏の財政健全化計画において、社会保障関係費の伸びに関する大きな考え方、改革・効率化の柱に沿ったメニューを盛り込み、その上で年末に具体的な改革・効率化の工程表を策定することを方向立てている。


国は、今回の資料を見る限り、今回の介護報酬改定で行った予防給付の範囲の縮小を次回は、軽度者(要介護1~2)の給付の抑制につなげようと考えていると思われる。


また、この財政制度等審議会財政制度分科会では、軽度者の福祉用具レンタルを保険給付から外すことや、軽度者の通所介護の地域支援事業への移行等を提案もしている。


次回、あるいは近い将来に、財政面から見ても、軽度者に対するサービス抑制の時代が来ることは間違いないだろう。なんでもかんでも、最大限にサービスを使わせてきたツケといえなくもないが、それによって必要なサービスまで削減されたはたまらない。


お互いに、利用者には正しい情報を伝え、自らも襟をたださねばならない。国がいうことにも正論はある。とは言え、政府の今後の動向を見守り(または監視し)つつ、対策を考えていかねばならないだろう。

 


現状と制度が乖離していくのは、単に審議会に出ている御用学者だけが問題なのではなく、たまたま、国に都合の良い論を吐いている、利用しやすい学者さんをとっかえひっかえ利用している点にも問題があると思っている。


もし、学会で役に立たない学者であっても、一般の国民の迷惑にはならない。しかし、その発言が国民の首をしめるのに使われれば、それは迷惑であろう。


今思うと、福祉学や看護学からの「借り物」「抜粋」「流用」ばかりで、純粋な介護分野の学問を確立してこなかったのが大きいのかも知れない。


さて、まだまだ、道半ばである。皆さま、ご自愛くだされ。


(つづく)

 

【その11】
介護予防・日常生活支援総合事業と

女性支援策の家事支援サービス

~多くの人は、自分のことが自分でできれば他人を頼りにしたくはないのだ~


介護保険制度改正に伴い、4月から予防給付を廃止し、新しい介護予防・日常生活支援総合事業移行となる。

 

ただ、この事業は、平成29年までの猶予期間が設けられており、そのため、この取り組み(というかどの政策でも)は、各市区町村によって、温度差もあり、例のごとく対応がバラバラなのだ。

 

改めて、介護予防・日常生活支援総合事業のガイドラインを参照に介護予防訪問介護について考えてみる。

 

はじめに、この総合支援事業の趣旨であるが、総合事業は市町村が中心である。地域の実情に応じて住民等が主体となり、多様なサービスを充実することで「地域の支え合い体制づくりを推進」し、要支援者等に対すべく、効果的かつ効率的な支援等を可能とすることを目指すもの、とされている。

 

もちろん、総合事業では、地域包括支援センターが介護予防ケアマネジメントを実施し、介護予防・生活支援サービス計画を作成する。

 

 

上の条件に該当しない人々には、多様なサービスとして下記のようなことが想定されている。

 

【多様なサービス】
②訪問系サービスA(緩和した基準によるサービス)

 

【生活援助等】
③訪問系サービスB(住民主体による支援)

 

【住民主体の自主活動として行う生活援助等】
②と③は状態等を踏まえながら住民主体による支援等

 

【「多様なサービス」利用を促進】
④訪問系サービスC(短期集中予防サービス)
保健師等による居宅での相談指導等。体力の改善に向けた支援が必要なケース。ADLやIADLの改善に向けた支援が必要なケース。
⑤訪問系サービス(移動支援)
移送前後の生活支援 訪問型Bに準じる。

一方、この間政府の女性支援策の一環として、経済産業省が大手事業者などによる「家事支援サービス推進協議会」を設置して検討を行ってきた。

 

高齢者世帯では需要のある家事支援だが、都市圏の25歳から44歳の女性に対してのアンケートでは、現在利用している。利用したことがあるは3%に過ぎず、サービスを利用したことがないが、7割となった。

 

利用しない理由で最も多かったのは「他人に家の中に入られることに抵抗感がある」47%「他人に家事を任せることに抵抗がある」37%あった。これは、まぁ最初から想定できることではある。

 

そこで、経済産業省では、品質確保のためのガイドラインが必要として、このたび家事支援サービス事業者向けのガイドラインをまとめたというわけだ。

 

この「家事支援サービス」は、事業所のスタッフが訪問し、主に利用者宅で、掃除、洗濯、炊事などの全部又は一部を利用者に代わって行うサービス」である。ここには「対人サービス」というものは存在していない

 

家事支援サービス事業者向けのガイドラインでは、サービス提供が確実に行われるように、事業所には提供の責任者の特定や、スタッフの教育指導を実施することを求めている。

 

また、技能だけではなくマナー個人情報保護法の遵守など広範な教育が必要とも指摘されている。

 

前述した、「新総合支援事業」と、この「家事支援サービス事業」との違いはあるのだろうか。確かに、家事支援サービス事業には、対人サービスは入っていない。

 

高齢者にしても、元気で自分で自分のことができる状態であったならば、よほどの人好きか、寂しがりやでもない限り、他者に自分の家に入って来てもらって、何かをして欲しい、とはゆめゆめ思わないだろう。

 

そうはいっても、自分のことが自分で思うようにできなくなった時、人は誰かを頼りにせざるを得なくなる。

 

そんな状況でも、地域にいる隣り近所(ボランティア)の方々に「家に入って手伝ってもらうこ」とは抵抗があるのは想像に難くない。介護・福祉職も、勤務地は自分の居住地域から離れた仕事場を選ぶ人がほとんどなのだ。

 

今の日本は、かつてのような、「ムラ社会」は存在しない(しにくい)。ただの「未発達地域(ただのド田舎)」はあるにせよ。ムラ社会は拡大していかないことが前提であろう。だからこそ、ムラで面倒をみれるのだ。もとろん、閉鎖性も高い。

 

困っている高齢者が、援助を頼んでも、家に入ってくる相手を選ぶことができない。あるいは、選べても、その人が、ほんとうのところ、「どういう人間かわからないし、怖い」と思うのが本音である。

 

また、援助する側にも「困っているんだから、四の五のいうな」という「やってあげている感」も見え隠れしていることもあるだろう。これでは尊厳の保持など、とても覚束ない。

 

他者の力を頼りにすることに抵抗があるからこそ、今だに「介護殺人」なるものが後を絶たないのだ。そんな状況でも、4月からは、新・総合支援事業をスタートさせる。猶予期間はあるにせよ、いつかは始まるのだ。

 

高齢者だって、「お世話をしてくれる」ならば、基本的に「だれでも良い」というわけではないだろう。私だってそうである。

 

病院や医師だって、できる限り良い先生や看護師がいるところを選びたい。という「あなた」が支援する場合でも、あなたが選ばれる人になり得るだろうか?

 

利用者支援に携わる者(介護支援専門員やサービス提供事業者)は、今後、総合支援事業が始まっても、介護予防がスタートした時みたいに、

 

「はい、要支援になったので、ベッドは使えませんから返しましょう」

 

あるいは、

 

「訪問介護ではここまでしかできませんよ!」

 

保険者から示された通達を振り回わして、利用者の気持ちを無意識に切り裂くことは避けなければならない。

 

そのような時でも、いったん立ち止まり、利用者サイドに立ち、真の代弁者になれるような、覚悟が必要なのではないかと思うがいかがだろう。

 

佐藤も総合支援事業の必要性を説きつつ、地域の中で「お互いさま」の世界を構築する手立てを考えたいと思うこの頃である。

 

とは言え、よくも悪くも江戸時代のような連帯感をもつことも、隣り近所との関わりを強制することももはやできない。

 

「介護保険は赤字だからボランティアで賄おう」などと安易な発想ではさらに難しくなるだろう。現代において、安心安全などは、ただでは手に入らない。それなりのお金が発生する時代なのだ。

 

それにしても、介護保険がスタートしてからというもの、地域によくいた世話焼き叔母(伯父さん)さん達が消えてしまった。

 

いや、よくよく見ると、親族を束ねる「長(おさ:制度的な叔父・叔母)」も親戚から姿を消した。まるで、アベノミクスのような見せかけの好景気の中で、息をひそめて、他者に迷惑をかけられないように生活しているかのようだ。ここにも自分さえよければいいという世相がハッキリと映し出されていている。

 

だからこそ、「人を殺してみたかった」という世間から浮き上がった若者たちが現れるのだろう。そんな若者を遠巻きに眺めるだけでは、誰も救われない。ここらで、なんとかしないといかんだろうな。

 

そんな、こんなを考えつつ、今回はここまで。さてさて、皆さまご自愛くだされ。

 

(つづく)

 

 

 

【その10】

 チャレンジ「課題整理総括表」

 

佐藤は、現在「チャレンジ課題整理総括表及び評価表のつくり方研修」にはまっている(といえるのかどうか)。

 

厚生労働省老健局振興課より、《介護保険最新情報Vol.379「課題整理総括表・評価表の活用の手引き」の活用について》が平成26年6月17日に示された。

 

佐藤もそれを受けて、近頃の研修では、この帳票を用いた事例研修、そのものズバリの「チャレンジ課題整理総括表及び評価表のつくり方研修」を行っているというわけ。できるケアマネにとっては「勝ったのに罰ゲームかい!」の感はあるだろう。

 

でも、国がやるというならば、反対なら反対でなんらかのソーシャルアクションも必要だろうし、とりあえずやるなら、今から準備しておかんと間に合わないかもしれん。どちらにせよ、「備えよ、常に」の心がけが自らを救う。

 

直近でも、某県の研修会で「居宅サービス計画点検研修」を行い、アセスメントのやり方、課題整理総括表及び評価表の使い勝手についての講義演習を行ったばかり。

 

参加者の中には、主任ケアマネの方が多くいた。そりゃプロなら関心はあるだろうが、今更ながら、この「課題整理総括表」についての関心の高さがわかった。

 

なんせ、マスコミはこの件に関しては、沈黙を保っている。まぁ深読みはしないが(興味なし?)。

 

研修会では、佐藤が作成した事例をもとに、アセスメント手法、課題整理総括表の作成手順、居宅サービス計画への導き方を説明した。この際に重点を置くことは「今後の見通し欄」をICFの概念(枠組み)で考えることだ。

 

いろいろな方法で有意義なものもあるのだろうが、現状IはCF以外だと「どこかが抜け落ちてしまう」のだ。まぁもっとパシッ!と決まるものがあれば、それは知りたいと思うがやはり、話を良く聞かん方法では相談援助の仕事はうまくはいかんし。

 

その後は、参加者が、課題整理総括表作成にチャレンジ! 各自持参した個別のケースの情報に基づき、課題整理総括表としてまとめていく。

 

佐藤は、会場を廻りながら、個別の疑問に応えていき、それに合わせて、皆さんの記入内容について確認していく。

 

すると、「すらすら書ける人」「すらすら書けない人」との差が明白になってしまうのだ。ここらで今まで「何をしてきたか」が出てくるのかもしれない。

 

この「すらすら書けない人」の中には、まだまだ、提供するサービスにとらわれていて、「このサービスを結びつけるためには、ここに、どのように書いたら良いのかがわからない」と嘆く方もちらほらいた。

 

また、ICFの「生活機能分類」の方法がわからない方、活動や参加の見通し、背景因子が抱える課題をどのように考えればよいのかわからないという方もいた。

 

そんな中でも、制限時間45分以内に「全てを網羅」し、正しく記入された方々もいたのだ。その方々は「主任ケアマネ」の方々であった。

 

なるほど。

 

やはり、主任ケアマネは主任ケアマネだけのことはあるのだ。佐藤はおそらく、ダメな(?)主任ケアマネばかりに目が行っていたのかも知れない。いずれにせよ、常に研究しているのはプロとして素晴らしい。

 

さらに研修での。主任ケアマネさんたちの言葉が良かった。

 

「本日、こうして、学びを深め、自分が作成してみたことで、この課題整理総括表の使い勝手がわかりました」

 

「帰って、もう数件、チャレンジすることで、深く理解できると思います」

 

いいねぇ、とても頼もしい感想をいただいた。

 

とはいえ、参加者の中には、

 

「この帳票は使用しなくてもいいんですよね?」

 

という方もいた。ははは。

 

この帳票は「サービス担当者会議等」で、サービス提供事業者と利用者情報を共有する時に用いることも目的となっているはず。

 

であるならば、自分の能力を試す意味も込めて、様々な事例にあてはめて、東京の「リ・アセスメント支援シート」はともかく(笑)、この「課題整理総括表」の作成にはチャレンジしても良いのではないだろうか。

 

皆さんの地域ではいかがでしょう? この課題整理総括表についての研修は進んでいるでしょうか?

 

もし、記入方法や作成へのアプローチ等でお悩みの方々で、ご要望があれば佐藤がどこへでも伺い、研修会をさせて頂きますよ!

 

ぜひぜひ、ご検討のうえ、佐藤をご活用ください。当ホームページの「ホーム」の左バーからお問い合わせください。まずはご相談ください。東北地方はどうなってるのかなぁ?

 

年末のスケジュール調整前のお誘いでした(笑)。

 

さてさて、皆さま、寒くなってきました。〇ング熱エ〇ラ熱など、他人事ではございません。油断なく、お過ごしください。

 

(つづく)

 

【その9】
「個別サービス計画書」の内容を充実させよう

 

国は「心身機能」活動」「参加」などの「生活機能の維持向上」を図る個別サービス計画書を作成することに重点をあてている。

 

第106回社会保障審議会介護給付費分科会(H26.8.27)の資料1では、

 

「居宅サービスは「心身機能」「活動」「参加」などの生活機能の維持・向上を図る機能、生活援助としての機能、家族介護者の負担軽減を図る機能のいずれかの機能を発揮して自立を支援するサービスと考えられる。」

 

として、以下①-③を全ての事業所で実施すべき取組としてあげている。

 

① アセスメントに基づく個別サービス計画の立案、計画に基づくサービス提供、

  計画の評価及び見直しといったPDCAに基づくサービスの提供。
② 地域の事業所や専門職等と連携を通じたサービスの提供。
③ 利用者の社会性の維持。

 

ここで使用されている「心身機能」「活動」「参加」という言語は、ICF「生活機能分類法」の概念の用語である(あくまでも概念であって、そのものを使うわけではない)。

 

このICFについて、厚生労働省はホームページにおいて、以下のように紹介し、その全容を掲載しているが最初の案内部分のみ、引っ張り出してみる。

 

平成14年8月5日社会・援護局障害保健福祉部企画課より、  

 

「国際生活機能分類-国際障害分類改訂版-」(日本語版)の厚生労働省ホームページ掲載について

 ICF(International Classification of Functioning, Disability and Health)は、人間の生活機能と障害の分類法として、2001年5月、世界保健機関(WHO)総会において採択された。

 この特徴は、これまでのWHO国際障害分類(ICIDH)がマイナス面を分類するという考え方が中心であったのに対し、ICFは、生活機能というプラス面からみるように視点を転換し、さらに環境因子等の観点を加えたことである。

 厚生労働省では、ICFの考え方の普及及び多方面で活用されることを目的として、ICFの日本語訳である「国際生活機能分類-国際障害分類改訂版-」を作成し、厚生労働省ホームページ上での公表(8月5日より掲載予定)することとした。

 

そして、今後のICFの活用については以下のように記載してある。

 

ICFの活用により、

障害や疾病を持った人やその家族、保健・医療・福祉等の幅広い分野の従事者が、ICFを用いることにより、障害や疾病の状態についての共通理解を持つことができる。

様々な障害者に向けたサービスを提供する施設や機関などで行われるサービスの計画や評価、記録などのために実際的な手段を提供することができる。

 

と見込んでいたようだ。

 

だがこの目論見は、丁寧な段取りと、「誰にでもわかりやすい」日本語訳を用意していなかったために、国は関係者に「理学療法士」のようなセラピスト予備軍になることを強いていると勘違いした人たち(確信犯かもしれないが)によって、潜在的な「拒否同盟」がケアマネを中心に介護職に広まってしまったのかも知れない。

 

ろくろく勉強もしない管理者や組織の幹部、(自戒をこめて)研修を担う講師陣が、いきなり新たなる概念を理解できるはずもなく、国も「教える層」を育てる努力もせず、予算もまったく付けなかったのが追い打ちをかけた。

 

その結果、国は、平成14年の時点で、すでに「ICFの概念」を用いた計画作成を推奨していたにもかかわらず、12年経った今でも、居宅サービス計画書も、個別サービス計画書も、このような視点からは遠くかけ離れているものでしかないのが現実である。

 

しかも、国がその現状を憂いており、そのスケープゴートとして再びターゲットにされたケアマネジャーが、できる人できない人(やる気がない人を含む)にかかわらず、いろいろな足枷をはめられているのだ。

 

しかもできる人ほど、「罰ゲーム」もどきの巻き添えになり、嫌気がさして辞めるようにでも仕向けられているとしか思えない制度改悪が続いている。

 

繰り返しになるが、ろくろく、自分でまともなケアプランも立てられない人物が、コネや肩書だけで計画作成などを指導してはいけないのだ。

 

とにもかくにも、過去はもう諦めるしかない。では現状「ICFの概念」を用いた計画作成がうまくいかないのはなぜだろうかを考えてみる。

 

その原因のひとつとして考えられるのは、介護支援専門員の課題のまとめ方にあるだろう。なにしろ、「アセスメントとは何か」も、その方法も知らないのがいるくらいだ。少々のことで驚いていては教えられない(笑)。

 

いちおう、介護支援専門員は、国が定めた「課題分析標準項目」に基づいて、利用者情報を収集している。その後、利用者等の困りごとを明確にして、課題にまとめているはずだが・・・。

 

しかし、なんと、課題のまとめ方には「ルール」が明記されていないのだ。まさか英国の慣習法ではあるまいに。

 

現状、インプット内容「課題分析標準項目」は定めているのに、アウトプット内容は個人の力量や、使用している介護ソフトに委ねられているのだ。

 

佐藤も昨今介護ソフトにいろいろと関わる機会が増えたが、そこまでコンピュータ会社にゆだねてしまうのはまだまだ難しいであろう。無い物ねだりはよそう。

 

以前から、課題分析標準項目から導き出した課題にまとめる時に「ICF言語」である、「心身機能」「活動」「参加」「環境」を意識して各言語に1つずつの課題を抽出するように伝えている。これはあくまでも、枠組みの使用である。

 

これは「介護の世界」「医療や看護の世界、患者ないしは利用者が暮らす「日常の世界」とをつなぐための共通言語として使うのだ(医療には「参加」という概念がほとんどない。患者は治れば「医療や看護の世界」から(いったん)「退場」するからだ)。

 

さて、共通の枠組みを決めてさえおけば、すべての介護支援専門員が「(ICF)枠組み」から外れない、過不足のない計画の作成が可能となるはず。

 

そして、このマスタープランである、居宅サービス計画書の課題が、「ICF言語」に基づいて抽出されることにより、利用者の「心身機能」「活動」「参加」「環境」に働きかけるサービス内容がもれなく組み込まれることになるのだ。

 

そうすれば、居宅サービス計画に沿って作成される、個別サービス計画書もICF言語を意識した内容となり、モニタリングや評価がしやすくなるはずである。

 

ところが、現在各サービス事業所が作成している個別サービス計画の多くは、居宅サービス計画書に記載されている、入浴・食事・移動の介助、行事やアクティビティの参加など、提供するサービス項目だけを列挙しているものが少なくないのだ。

 

これでは、各サービス事業所の中で、各専門職がすでに実践している「生活機能の維持向上を図るための専門的な技術」が見えてこない。それじゃ、もったいないと思うのだ。

 

さらに、個別サービス計画がICFの概念に沿って作成されない原因として、個別サービス計画の作成者が、PDCAサイクル(plan-do-check-act cycle)についての認識が少ないこともあげられるだろう。

 

まぁ、国は介護支援専門員の研修は、とりあえず質はともかく、計画的に行ってはいるが、サービス提供者側の研修は、ほとんど「そちらまかせ」で、やってないから仕方がないのだろうが・・・。

 

しかしながら、すでに平成27年の介護保険制度改正では、介護予防通所介護や介護予防訪問介護が全国統一の予防給付からは外れ、各保険者が行う「介護予防支援事業」となることが確定している(平成29年までは猶予期間)。

 

通所介護のサービスや訪問介護のサービスが、介護給付のサービスとして、継続して存在するためには、国が求めている「心身機能」活動」「参加」などの生活機能の維持向上を図っていることが評価できる「個別サービス計画書」をつくる必要があると思うが、いかがであろうか。

 

(つづく)

 

【その8】

 「訪問介護の専門性」とは何か

 

タイトルは短いが内容は長い。今回のお題目は、佐藤にとってもかなり大切なテーマでなのだ。

 

国は、平成27年に介護保険制度の改正を目指している。大きな改革としてあげられているのが、予防給付のサービスから、訪問介護と通所介護を外すという。

 

まぁ、本来「改正」と言うならば、ある程度の見識や経験を持つものを収集し、「ある事項」の是非を論じ、必要があれば変更する。また、その箇所を一定期間を経て、再び検証・評価し。再変更や維持を検討しなければならないと思う。

 

だが、そもそも収集されたメンバーが「?」と思うようなメンバーばかりだったり、「ある意図(たとえば、廃止・制限など)」を持ってそれを実行するためのイエスマンを集めたとしか思えないメンバーだったりする。

 

介護・福祉系の某職能団体のトップが、追い風の某政党の支持を受け、国政選挙に打って出た。「これなら、落ちるほうが難しい」と言われる状態であったが、落選した。

 

当然である。そのトップは「誰の利害関係」の代表にもなっていなかったのだから。当選すると踏んでいた感覚がそもそもおかしい。

 

なんせ、その御仁、介護・福祉業界の支持が元々なく、元職業界に指示もしかりであった。だから、そういう団体のトップが「有識者」として、各種会合に呼ばれても、「いかなる職種」の代表にもなれないのは自明のことであろう。

 

この国の制度改革にはろくなものは見当らないが、特に介護・福祉関連の「改悪」はひどい。都合の良い「そういう人物」を意図的に集め、行政の担当者はすぐ替わるし、散々経費を使ってあげく、「アリバイ(いちおうは努力してました的な自己防衛用の結果物)作り」のための無意味な制度変更を繰り返して来たのだ。

 

もちろん、どの制度でも、修正や変更があるのは仕方がない。結果として、不要な給付もあるだろう。でも問題は介護・福祉系の集まりは「有識者モドキ」たちが決めたのだから当然な帰結であろう。

 

さらに常套手段として、どこかの給付などを削る際に、いったん「どこかの給付」を増やすのだ。そして、頃合いを見て、言いがかりをつけて、それもまた削減するという、「見せ金」的なやり方や意地悪がこの国のやり方でもある。

 

もし、国民から「本気のブーイング」が起きれば、すぐにひっこめたり、延期したりする。だから、改悪に対しては、国民(ここでは利用者や介護職)は、本気で怒らなければならないし、国民の代表になりえない者に票など入れてやる必要もないのは言うまでもないが。

 

さて、このように改悪され、予防給付(そもそもこれを介護保険に組み込んだ意図がおかしいが)が介護給付からはずされても、サービスが無くなってしまうわけではなく、各市町村が行っている地域支援事業へと移行されるのだとのたまう。つまり、さらっと以前の制度改革が「間違っていた」のを認めたわけだ。

 

これらの地域支援事業を安定させるために、国は市町村の裁量権を拡大し、柔軟な人員基準・運営を行える仕組み(サービス提供事業所を市町村が指定できる)にするという(私が知らないだけなのか、国や行政が「柔軟な対応」を行った効果的な例をほとんど知らない)

 

そして、地域支援事業は、サービス内容により、それらを担う担当者が想定されている。

 

●介護予防訪問介護部門

既存の訪問介護事業所による身体介護・生活援助の訪問介護。

NPO、民間事業者等による掃除・洗濯等の生活支援サービス。

住民ボランテイアによるゴミ出し等の生活支援サービス。

 

●介護予防通所介護部門

既存の通所介護事業所による機能訓練等の通所介護。

NPO、民間事業者等によるミニデイサービス。

コミュニティサロン、住民主体の運動・交流の場。

リハビリ、栄養、口腔ケア等の専門職等関与する教室。

 

「介護予防・生活支援の充実」(上記にプラスされる内容)

・住民主体で参加しやすく、地域に根差した介護予防活動の推進。

・元気な時からの切れ目ない介護予防の継続。

・リハビリテーション専門職等の関与による介護予防の取り組み。

・見守り等生活支援の担い手として生きがいと役割づくりによる互助の推進。

 

なお、これらを利用する、利用料金は市町村が決めることになっている。

 

は、専門的なサービスを必要とする人には専門的なサービスの提供(専門サービスにふさわしい単価)、②③④は、多様な担い手による多様なサービス(多様な単価、住民主体による低兼な単価設定、単価が低い場合には利用料も低減)となる。

 

これらは、「支援する側」と「支援される側」という、画一的な関係ではなく、一人の人間が、ある時は「支援する側」になったり、ある時は「支援される側」になったりしながら、地域とのつながりを維持していこうという。

 

そして、なにより、能力に応じた柔軟な支援により、介護サービスからの自立意欲が向上することとしている。

 

このような形態を導入することにより、各市町村にある、個々の多様なニーズに対応するサービスの広がりができ、在宅生活の安心確保(サービスの充実)と同時に、住民主体のサービス利用が拡充し認定に至らない高齢者の増加や、重度化予防の推進が見込まれ費用の効率化が実現するというのだ。

 

気持ちはわからないではない。もし、介護業界が他業界のように、たとえ人手不足であっても、ある程度の人材の選択・選別が行われている。最低限の教育機会(あるいは経験保持者を採用)が保障されており、高度な専門技術も持っている。職員の身元がはっきりしているなどの当たり前のことがなされていればコンセンサスは得やすいだろう。

 

しかし、多くが寝たきりや認知症状がある方など、成年後見人などを必要な方々の家へ入るのに、介護職の身元も履歴もはっきりしていなかったりする。簡単な技術も怪しく、決められたことがやれない。記録や書式などの法定書類もきちんと作れないし作る気もない。

 

なにしろ、介護業界に10年くらい働いている者の中にも、ド新人と技術も知識もさほど変わらない人がいたりして、しかも開き直ったりする。これじゃ給料が低いといってもなかなか国民の理解は得られんだろうて。

 

まぁ、介護保険制度は、スタート時から、見直しを行うことが大前提として、スタートしたあやふやな制度ではある。しかるにお役所とは一度決定してしまったことはそのような方向で動くしかない。絶対に過去の制度変更の過ちは認めないのだ。

 

このような制度上で、予防給付から介護予防訪問介護がはずされたことには「なぜ」という疑問は残る。なぜならば、いちおう、訪問介護員は、介護の専門家であるはずだし、決してド素人ではないのだ(近いのはたくさんいるのが悩みのタネであり、ご飯のタネでもある)。

 

現在、訪問介護として働く人々は、その歴史において、国が様々な法整備(ぶち壊しとも)を行いながら、新たな不毛で、弱気な資格要件の小出しな変更(苦情で延期等)にめげながらも、訪問介護の専門家となるため、日々働き、あるいは学校に通って、何らかの資格を保持しているのだ。

 

ついでだから、この訪問介護員の歴史を紐解いてみょうかな(参照:ホームヘルパー協会)

 

訪問介護の起源は、昭和31年(1956年)に長野県上田市にて、家庭養護婦派遣事業が始まりとされる。この時の対象者は、不測の疾病・傷害等のために家庭内で通常の家事業務を行うことが困難となった場合の者に対して、原則1か月以内の「臨時」に雇用した家庭養護婦を派遣した。

 

翌年、大阪、東京などでも始まり、やがて「家庭奉仕員派遣制度」が発足し、全国へと広がったのである。

 

一方、日本では派出婦という名称の職業が現れ、全国各地に派出婦会という仲介組織が設立された(派出婦会は現在の訪問看護に相当するサービスも供給)。

 

派出婦は、それまでの女中のような雇用者との主従関係でなく契約によって業務を行った点、また「習熟期間を設けず」即戦力となる労働力を供給した点などにおいて、現在の家政婦の原点とも考えられる。

 

その後、日本では日露戦争や第二次世界大戦で夫と死別した寡婦が増加し、その経済的支援という側面からも家政婦斡旋が広がっていった。

 

昭和37年(1962年)、厚生省が「家庭奉仕員制度設置要綱」設定。国庫補助対象の福祉事業となった。ここで働く家庭奉仕員は、社会福祉協議会などで働く常勤の職員であった。

 

そして、昭和38年(1963年)老人福祉法の制定により、「老人家庭奉仕員」として制度化され、独り暮らしの低所得の老人に対して、家事援助を中心とした世話が行われたのである。吉佐和子さんの小説で『恍惚の人』という作品があり、何度もドラマや映画化されたものでもある。ある意味、ある時期以後、「不変のテーマ」なのかもしれない。この作品は制度改正論にも影響があったとされている。

 

作品の社会背景として、女性の社会進出を促すと言いながら、その一方、主婦(女性、いまでは子供)にあらゆる家庭の負担を負わせようとする、与党の高齢者政策の矛盾があるといわれていた。

 

結局、介護保険の家族救済の部分はまたまた薄まってしまってしまい、もはや「存在不可能な」地域性というものを頼り、有効活用をしたいらしい。

 

まぁ、高齢者ばかりの「リアル地方」ならともかく、極端に言えば、隣人が月替わりで替わったりするような「大都市圏」で暮らす者にとって、人間関係の充実や地域性をもとめるなどは絵に描いた餅だと思うのだが。

 

これらは、皆、言い方は悪いかも知れんが、頭脳や人間性はお粗末であるが、家柄や学歴だけは良いという、田舎育ちの「ボンボン議員」たちのおかげであろう。そういう人たちを政治家にしてしまうと国民は苦しむという良い(?)例でもある。

 

当時も、まだまだ「お上の世話にはなりたくない」という、プライドを持つ人が多く、利用者は少なかったようだ。でも、おそらくは「他人に家に入って来られる」のが本音ではないかと思うのだが。

 

もし、ほんとうにそう(お上の世話にはなりたくない)思うのなら、若い時から節制するであろう。大昔はそうだったのだから。もちろん、まじめにやっていても、不測の事態に遭うことはあるし、セーフティネットの構築は必要である。

 

とは言え、昭和40年度末に老人家庭奉仕員の設置市町村の割合は7%だったのだが、高度成長に伴い、昭和48年には89%と急激に伸びていったのだ。そう、みんなで使えば(頼めば)怖くないのだろう(苦笑)。

 

このような中で、昭和42年には身体障害者家庭奉仕員派遣事業が開始(障害者を対象としたサービス)し、昭和45年には、心身障害児家庭法委員派遣事業が開始、対象者が身体障害者・心身障害児に拡充されたのである。なお、家庭奉仕員に対しては、年に1回程度の研修が行われていた。この頃からやはり少ないですな。若手国会議員の不要な研修会を減らしてでもこれらは増やしてほしい。

 

その後、需要が増えることにより、それらを担う人材が足りず、勤務体系として、常勤者を前提にしながらも、非常勤の雇用体系を認めることになるのだ(非常勤でも、人材の質がそれなりに高く、それなりに責任感さえあったならば、現在のような問題は起きないはずなのだが・・・)。

 

一方、厚生省(2001年1月以後は、厚生労働省)は、このような公共性が高いサービスから、昭和57年には家庭奉仕員の派遣事業の改正を行い、家庭奉仕員の資質向上を図るために、採用時には70時間の研修制度を導入。昭和62年には、家庭奉仕員講習会推進事業を創設し、研修時間が360時間となった。

 

国は、昭和62年(1987年)に社会福祉士及び介護福祉士法を制定し、介護を担う職員のために、介護福祉士という国家資格を登場させた。もっとキチンと職務内容と教育方法を吟味して制度化して欲しかった。社会福祉士も同様である(この資格は、このままで「問題ない」と思っている資格保持者が多い分、病根は深いと思う)。

 

その後、平成2年(1990年)には、「高齢者福祉整備10カ年計画」を打ち出し、家事援助中心だった老人家庭奉仕員に代わり、ホームヘルパーという名称を登場させた。

 

そして懸案の事項、つまり、平成3年(1991年)には、ホームヘルパー1~3級という段階別研修をスタートさせて、食事・排泄・入浴の世話などの「身体介護」を中心とした職種としてホームヘルパー制度が出現し、以後、厚生省(現・厚生労働省)の迷走や暴走が止まらなくなるのだがそれはここでは置いておく。

 

《ここがポイント》

ホームヘルパーは、掃除洗濯買い物などの家事援助を中心とした援助者から、食事、排泄、入浴の世話などの「身体介護」を中心とした職種として注目されるようになった。

 

それまで「家事中心」のサービスを受けていた人や、ホームヘルパーという資格を取得してサービス提供をしていた人々にとっての実際のサービス内容は、利用者の状態が維持されている限り、「家事中心」のサービスに変わりはなかったのだ。

 

その後、平成4年(1992年)には、「チーム運営方式」が実施され、ホームヘルパーとして「身体介護」の、専門的知識や技術を構築した人々は、常勤、非常勤、主任のホームヘルパーとなり、病院のソーシャルワーカー訪問看護師らとチームを組み、在宅での充実した、サービスが提供されるようになる。

 

ここらへんから、ヘルパーはもちろん、PT・OT・NS・SW、いやいや弁護士や会計士といった資格まで、合格者を倍に増やし、教育レベルを下げ、資格取得者を大幅に増やしたため、その人員の有効活用(本業ではなかなか仕事がないせいもあるが)のための制度変更や加算制度が創出され、病院と介護施設などの間で、「人材のキャッチボール」が始まったようみえる。でも「必要なレベルの専門家」となると、なかなか増えてはいかないのは言うまでもない。

 

ともかく、これらに制度改正によって、在宅療養をしている利用者に対して、身近でサービスを提供しているヘルパーの観察等により、利用者の状態の変化に応じて、医療などの専門的な対応が素早くできるようになった(はず)である。

 

さらに、平成7年(1995年)には、ホームヘルパー養成研修の新カリキュラムが示され、ホームヘルパー養成研修がスタート。また、「24時間ヘルパー制度」が導入された。かたちの上では、ホームヘルパーの迅速なサービスと適切な対応が24時間体制で、できるようになった。

 

もちろん、このころはまだ「措置制度」であり、利用者の申告に伴い、行政の裁量で、サービス時間や、その内容が決められていたが、国は、すでに、介護保険制度を視野に入れており、社会福祉法人が行っていた事業を民間企業等への委託がスタートし、同時に、利用者に対しては、サービス提供時間の縮小化が図られていった。相変わらず、なんのために制度を作ったのかがわかっていない。

 

そして、いよいよ、平成12年(2000年)介護保険制度が導入された。介護保険法の中で、ホームヘルパー「訪問介護員」と呼ばれるようになり、指定居宅サービス等事業の人員、設備及び運営に関する基準いわゆる、事業所の指定基準の中で、「サービス提供責任者」を置くことが定められた。

 

ついで、平成18年(2006年)には、予防給付がスタートした。介護予防訪問介護は、包括的なサービス提供とされ、当たり前だが、利用者の健康状態は必ずしも一定ではない。利用者に対しても、介護予防の観点から安全を確保しつつ、ともに行う支援を行っていた。

 

その後、平成24年(2012年)の介護保険制度の改正(改悪?)では、サービス提供責任者の配置基準が見直され、利用者40名に1人、その端数を増すごとに1人の増員が規定され、さらにサービス提供責任者は、介護福祉士、介護職員基礎研修課程修了者・居宅介護従事者養成研修(1級課程)など、資格要件が付加された。

 

そして、平成25年(2013年)の4月からホームヘルパー2級「介護職員初任者研修過程」に変更され、介護職の国家資格である介護福祉士資格を修得するためには、「介護職員初任者研修過程」からスタートし、「実務者研修」を経て、介護福祉士というようにステップアップが可能となった。可能性としては、であるが。

 

このように、利用者の在宅生活を担ってきた、ホームヘルパーを素人とは言えない。介護の知識・技術・医療の知識・技術を構築し、介護の専門家として働いてきたはずだ。

 

であれば、現場では、利用者に必要なサービス(介護等)の提供時には、その利用者支援のために前もって得ている情報からその時々の利用者の変化に気付き、専門家としての根拠に基づき、その時の必要に応じた、他職種との連携ができるのだ。

 

その結果、利用者が現状を維持する期間を延ばせたり、あるいは、危機的状況を回避できて、要介護状態の悪化を防ぐことができたはずなのだが。

 

それを来年からは、全国一律の予防給付のサービスより、訪問介護を除き、各市区町村が行い、地域支援事業に組みこむという。

 

もちろん、その費用(金額)は別にして、利用者の状態によっては、現在利用している訪問介護事業所のヘルパーが訪問することは可能ではあるのだが。

 

利用者の中には、顔見知りのヘルパーの支えや励ましにより、現状を維持向上してきた人も少なくないだろう。ただ、人間は、年を重ねることにより、できなくなることが増えていくと思う。

 

そのような中で、人間関係ができていく中で、下記のサービスの提供が訪問介護の専門家でなくても良いのであろうか。

 

(1)NPO、民間事業者等による掃除・洗濯等の生活支援サービス。

(2)住民ボランテイアによるゴミ出し等の生活支援サービス。

 

もちろん、国はこれらの人々を対象とした、職業倫理守秘義務など、働く上で必要な研修を考えているとは言うのだが、その予算があるのかどうか。

 

安倍総理は、女性の地位の向上を目指し、女性官僚の積極的な登用を示唆している。ホームヘルパーという職業も圧倒的に女性が多い。

 

介護保険を支えてきた、ホームヘルパーにも、より介護の専門家としての地位の向上を図っていただきたい。つまり、もうそろそろ、最低限の知識くらいはキチンと覚えていただきたいな。

 

何より、現場で働くホームヘルパーは、要介護状態にある人々を在宅を支える「介護の専門家」となってもらいたい。自ら介護技術の向上を目指し、日々、研鑽に励む必要があるのだと思う。佐藤自身も、自らの能力をさらに向上させ、常に旬な情報を発信したいと考えている。お互い頑張りましょう!

 

(つづく)

 

 

【その7】

ケアマネジャー(介護支援専門員)は不要なのか?

 ~居宅介護支援事業所の指定の権限を市町村へ委譲~

 

今回のお題目はケアマネジャーである。

 

国は「地域における医療及び介護の総合的な確保を推進するための関係法律の整備等」に関する法律案を示している。

 

この法律の趣旨は、「持続可能な社会保障制度の確立を図るための改革の推進に関する法律に基づく措置として、効率的かつ質の高い医療提供体制を構築するとともに、地域包括ケアシステムを構築することを通じ、地域における医療及び介護の総合的な確保を推進するため、医療法、介護保険法等の関係法律について所要の整備等を行うこと」としている。

 

皆さんもすでにご存知のように、地域包括ケアシステムの構築費用負担の公平化として、在宅医療・介護連携の推進などの地域支援事業の充実と併せて、全国一律の予防給付(訪問介護・通所介護)を地域支援事業に移行し、多様化すること。

 

また、特別養護老人ホームについて、在宅での生活が困難な中重度の要介護者を支える機能に重点化さらに、一定以上の所得のある利用者の自己負担を2割への引き上げ等が決定している。

 

併せてこれらの施行時期を明確にしており、地域支援事業の移行は平成29年(2017年)4月まで、一定以上の所得のある利用者の自己負担を2割へ引き上げ、平成27年(2015年)8月となっており、さらに、平成30年(2018年)4月には、居宅介護支援事業所の指定権限の市町村へ移譲することになっている。

 

国が目指す地域包括ケアシステムが、おおむね30分以内に必要なサービスが提供される日常生活圏域を単位として想定している訳だから、そこに生活する介護を必要とする住民もおおむね推測されるというわけだ。まぁ、おおむね政府の目算は外れやすいこともわかっているのだが(笑)。

 

しかし、笑ってばかりもいられない。そうなると、そこで必要な居宅介護支援事業所の数も、介護支援専門員の人数も、限定されてくるかも知れないのだ。

 

また、サービス付き高齢者住宅も住所地特例となり、入居しやすくなった。地域包括ケアシステムでは、地域密着型24時間訪問看護・介護サービスの利用を推奨している。

 

これまたご存知のように、地域密着型のサービスは、サービス側にいるケアマネがそれぞれのサービス計画を作成することになっている。そうなると、ますます、居宅介護支援事業所の出番は少なくなる可能性がある。

 

そうなると、平成30年(あと4年後)には、居宅介護支援事業所の存在意義はどうなるのであろう。

 

こう書くと、まだまだ先のことだろうと、怒られるかも知れんが、元々、ケアマネジャーの資格要件をお持つ人は、介護職、ソーシャルワーカー、看護師、理学療法士などが本業で、おおむね「その職(本業)」を行うために、その資格を取得された方がほとんどのはずだ。

 

ケアマネという職業は、介護保険制度のために生まれた職種であり、その資格を取得するための「正しいルート」などは存在しない。「正しいケアマネになる方法」などそもそも存在しない。あるとすれば、違法ケアマネになる遵法ケアマネになるかくらいであろう。

 

「社会福祉士」が扱う業務内容とは、確かに近いかも知れないが、その業務の根幹となる相談援助技術力を養う有効な方法は、いまだに確立しているとは言えない(ないことはないだろうが、効果のほどはあまり見えていない)。

 

はっきり言えば、資格(社会福祉士)を取ったら、資格取得後は「勝手に勉強してくれ」方式である。

 

介護福祉士試験よりは、かっちりしているが、結局、大学さえ出ていれば、専門分野の学部でなくても、通信などでおよそ簡単に取れてしまう資格なのだ(介護福祉士とダブルで持つ人も多い)。

 

一方、看護師、薬剤師、栄養士の資格は通信教育では取れない。逆に言えば、通信で取れる資格は「簡単にとれる資格」ということでもあろう。

 

かくいうソーシャルワーカーの仕事は、どんな優秀な大学を出ても、20歳やそこらの若い人が勤まるような仕事ではない(もちろん、優秀な人材はいつだって別次元の話)。

 

ソーシャルワーカーとは、取得してからの経験や知識、それらの集積がものをいう仕事なのだ。

 

ところが、社会福祉士資格を取得する人は、それが必要要件とされる特養等の施設長や相談員になるため、組織で肩書にあったほうが昇進に有利など、本気でソーシャルワーカーをやる気があるのかは疑わしい人ばかり。

 

特に西日本では、社会福祉士資格取得者の大半が上記のような状態で、研修講師の数も不足し、東日本から人材を調達しているらしい。

 

ケアマネ職とは、主に在宅のクライエントを訪れて、いわゆる「アウェイ」で相談援助を行わなければならない。さらに「お役所の人間」という「印籠」が包括ですら使えないのだ。

 

果たして、決して歓迎されているとは言えない家に行って、話を聞き、計画を立て、担当者でケア方法を確定する。こう書かけば簡単(?)のように見えるかも知れないが、社会福祉士の資格取得後、数年の経験で、これらの業務を楽にこなせる人はほとんどいないと思う。

 

包括に行っても、訪問者にろくろく挨拶もできん人間がたくさんいるのだ。びっくりしますよ。

 

相談援助どころか、他者との関わりが苦手で、仲間とも「適正な」コミュニケーションを取れない若者(ベテランでも)にできる仕事ではない。

 

ベテランであっても向き不向きは変わらない。もし自分が「相談援助業務」に向いていない上に、それに気づいていなければ、本人にも利用者にも不幸である。

 

ケアマネになっても、現場にいたときから「高齢者のケアができない」「高齢者に触れたくないような」という人には、たとえ高齢者の話を聞くだけでも、大変な苦痛な業務であろう。

 

これらの人が現場時代に「痛い」経験をすると、ますます、居宅を訪問することが困難になる。ケアマネとは「社会福祉士」を持っていれば務まる仕事というわけではないのだ。

 

もちろん、優秀な社会福祉士が元職のケアマネさんもいるにはいるが、滅多に出会わない。

 

一般人からすれば、日常が困難な状態だからこそ、介護保険を使うわけで、そこらへんがどうも、このケアマネ制度は、想定できていないのだ。

 

では「介護福祉士」ならば、よいのか。

 

きちんと介護職としての介護技術と知識を持っていて、在宅でサービス提供責任者をこなして来たような人で、相談援助者としての立ち位置を理解していれば、問題なくできるであろう。

 

また現場で少々の困難事例があっても、仕事としては、ある意味「楽しみながら」やることも可能である。仕事に真剣さは不可欠であるが、同時に「なんの楽しみをみつけられない」のであれば、たいがい長くは続かないのが仕事である。

 

高齢者が近くにいたら、近寄って話に花を咲かせるくらいの興味がないと、はっきり言って、介護・福祉職のどちらも適性があるとは言い難い。

 

自分の身内でもない、高齢者と会話を維持する能力は、そもそも後天的に身に着く能力ではないからだ。子供が頑張ってニンジンやゴーヤを食べられるようになるのとは次元が違う。

 

これは、自分が介護福祉士資格からケアマネ資格を取ったから言うわけではないですぞ(笑)。

 

ケアプラン(居宅サービス計画)の作成とは、個別援助計画に落とし込めるネタ仕込みの努力、それを展開できる担当業者を選定できる能力と人脈、高齢者と関われる力や高齢者への興味が必須の仕事なのだ。どう努力してもこの能力は大幅に向上可能なものとは言えないだろう。

 

また、ケアマネには詳しい関わりの記録を書こうという意識、計画作成能力なども必要で、これらは「持続的なまじめさ」に裏付けられた能力である。悪いが「忙しくて、つい・・・」という方は全く適性がないのだ。書く時間など、そもそも作る能力がないと勝手にはできたりしないのだ。

 

この能力は1回試験で測ることができない能力だから困る。本来は、ケアマネ試験の前に業務内容のガイダンスでも開いた方がいいくらい、ケアマネ業務の知識なしに飛び込んでくる人が後を絶たない。迷惑な話である。

 

前回の項にも書いたが、記録の不備で「介護報酬返還」の報道がそこかしこに流れている。これが、組織的にやられた問題ならば、組織全体が処分され、最悪、指定取り消しや、該当ケアマネの資格抹消となる。

 

しかも、これが「あるケアマネ」限定の問題、つまり個人の不正や怠惰で記録不在となれば、組織も「その人を守る」ことはまずない。自分がいた組織から「返還した介護報酬の弁済」を要求されることになる。

 

なんせ、保険者の担当者は、2~3年で変わる。もちろん、そこには、専門性が乏しい担当者も多く存在する。

 

そこで何年も「見逃されていたもの」(不正請求金)が、ある日制度に精通した、担当者が任に就き、監査等によって、不正が発覚する。突然、時効前の分はすべて、返還処分の対象となるのだ。もちろん、その数百万円は自腹で弁済させられ、クビ(よくて依願退職)になり、悪質とされれば、資格を剥奪されてしまう可能性が高い。

 

まぁ、職業倫理の欠片もない人間がどう処罰されようがかまわない。でも、居宅介護支援事業所で頑張っている介護支援専門員の多くは、皆さん、不備があっても不正等しているつもりなどないのかも知れない。それなのに自分のやって来たことが「不正請求」とされ、弁償までさせられるとしたらどうであろう。

 

平成30年、居宅介護支援事業所の指定の権限を市町村へ委譲されるが、ケアマネは基本職があるから、ケアマネに愛想をつかして「現役のケアマネ」がいつ消滅する(転職する)かわからないのだ。

 

かつて不用意に医師数を減らして、現在の医師不足を招いた○鹿な行政が二の轍を踏まないとも限らない。大幅に指定が減るとも現段階では思わないが、そもそも未知数な人材しかいないので、その頃にはケアマネ自体に成り手がいないかも知れない。

 

また、一方では、本来、自分がなりたくて取得した資格なら、再び温め直して始める良い機会かも知れないのだ。

 

数だけではなく、優秀な人材が今なお求められている。地域の中では、優秀な医師、看護師、介護士、セラピスト、そして相談援助職は、依然として不足しているのだ。

 

そろそろ、惰性や「みんなが持っているから」ではなく、キチンと「ケアマネをやりたい」という人材が出てきてほしいな、ぜひぜひ頑張りましょう。また、佐藤も頑張らないといかん。せっかくケアマネ資格も温め直したことだしな(笑)。ではまた。

 

(つづく)

 

 【その6】

 「仕事が忙しくて、書類作成に手がまわらずに給付管理を行い、資格の登録を削除された」 (介護支援専門員に必要なものとは何か)

 

ふう、長くなりますよ、これは。だってテーマが深すぎるもの(笑)。

 

○×県は、平成26年5月31日付で、ひとつの居宅介護支援事業所と、そこで働く介護支援専門員2名の資格の登録を削除した

 

それは、その事業所で働く、介護支援支援専門員が「居宅サービス計画を作成せずに、給付管理を行っていた」からである。

 

この事業所では「不正請求が常態化していた上に、管理者が不正にかかわるなど悪質」として、県は公表に踏み切ったという。

 

指定取り消し理由

 

1)運営基準違反

平成21年4月から平成26年1月までの間、多くの利用者について、居宅介護サービス計画を作成しないまま給付管理票を支払機関に提出していた。

 

2)不正請求

平成21年4月から平成26年1月までの間、ケアプランを作成していなかった事例について、そもそも「居宅介護支援サービス」を提供していなかったと判断されるにもかかわらず、不正に請求を行っていた

 

その他の利用者分についても、同期間、介護支援経過(日々の訪問等を記録する記録票)、モニタリング(利用状況を毎月確認し、実施状況を把握すること)の記録もしくはサービス担当者会議の記録が存在しない事例が多数存在する、などの運営基準違反により、本来は介護報酬を減算(5割から全額)して請求すべきであったのに、減算を行わず、不正に請求を行った

 

というが、この理由をみれば、そのような結果になっても仕方がないが、なぜ、長期にわたりこのようなことがなされていたのか、できたのかが理解できない。

 

ここで、表面化された問題の内容は、介護支援専門員の通常「業務」についてであり、別段「特殊性のある業務」ではない。

 

では、なぜこれらの記録物が存在していないのか。また、この介護支援専門員は「居宅サービス計画を作成しなかったのか。

 

その理由は、公表された文言によれば、「仕事が忙しく、書類作成に手がまわらなかった」という。これも、よく聞くセリフ(笑)でもあるが、考えれば妙な話だ。

 

ここで言う、仕事とは「ある作業」を行い、それらを書類や現物など、何らかの形で「やりました」と証明し、または提出することによって、お金(給料や報酬)を得る行為であろう。

 

ケアマネとは、介護サービスを自分で直接提供しない仕事(職種)であるから、一般的には、専業であれば、計画や書類、記録などを作成することと、それに付随する作業によって報酬を得ていることになる。

 

具体的には、公的な資金(介護報酬)のお金の流れ扱うわけだから、被保険者がどのような状態であるのか「アセスメント」し、どのような支援(サービス)が必要かを考え、その「実行計画(ケアプラン)」を立てるわけだ。

 

そして、各段階で利用者などの同意得つつ、サービスを担当できる職種に声をかけ、会議を開き、計画を確定また修正し、その進行状態をチェックしたり・・・。その作業を繰り返して行う仕事である。

 

そもそも「自分が提供するサービス」であっても、記録は必須である。ましてや、調整業務であるケアマネの活動の記録文書が必須なのは当たり前のこと。

 

個人が全額負担する自費サービスなら「お任せ」もあるかも知れないが、公的資金で9割(居宅介護支援費は10割)を賄う介護保険では「記録なし」では通らない。

 

そんなに忙しいなら「(きちんと)やれるだけの仕事をする」のが社会常識である。帳票に記録を付ける、居宅サービス計画作成などは、介護支援専門員の基本的業務である。それをやらずにして、何をやっていて「仕事が忙しい」と言うのだろうか。

 

何をやっていたとしても、保険者にそれを説明して、この処分を受けたわけだから、およそ介護保険上、よほど認めらない理由を答弁をしたのだろう。

 

「〇〇人以上、利用者がいないと経営が成り立たない」などというのは、事業者側だけの理由であり、利用者側にも、保険者側にも関係ないのだ。

 

もし、その事業所が「まともに業務をやってたら潰れてしまう」のならば、まともにやっている事業所がたくさんある以上、残念だが潰れていただくしかないだろう。

 

別に佐藤が厳しいわけではなく、それが法律であり、社会常識である。

 

利用者、家族などからの相談受け付け、情報収集・サービス事業所等との調整、サービス担当者会議を開催するための日程調整などで、電話連絡や、現場に出向かねばならない。

 

しかし、これらはケアマネ介護支援専門員)として、全て当たり前の業務である。「業務」なのだから、必ず「したこと」の記録は残さなければならない

 

いわんや、相談面接やアセスメントによって作り上げる「居宅サービス計画」は、介護支援専門員の業務のひとつの「到達点」であり、またスタート地点でもある。

 

これらがないならば、その仕事は「やってない」も同然である。報酬を返還するのは、仕事をしていないなら当たり前である。ヘタすりゃ横領や詐欺にあたる。

 

自分が介護業務に携わっていない方々は、ついついなんでも同情しがちである。まず、ケアマネに限って言えば、「ケアマネ業務が疲れる」のはなぜだろう。

 

まず、その人は、「相談援助業務者としての適性がない」場合、ケアマネになって何か月しても「技術や業務能力が向上しない」場合が多い。そりゃ、適性がなかったり、業務能力が上がらなければどんな仕事でも「つらい」し、「疲れる」と思う。

 

これは後に書く、「ケアマネという仕事につく前」にこれらの仕事に対する理解がないことにもよるのだ。

 

あのケアマネの試験(ペーパー)に受かっても、相談援助業務者としての適性はわからないでしょ? そのそも資格要件自体がでたらめに等しい。

 

たとえ基本職が似たような職種であるソーシャルワーカー出身であっても、ホーム(役所等)ではなく、アウェイ(他者の家)での相談援助を行うのは苦手な方も多いのだ。

 

ましてやケアプランに落とし込む作業は苦手な方も多い。最近は、記録を書けないソーシャルワーカーも増えている。そんな人がどうして相談援助職になりたがるのだろうか?

 

確かに、「介護現場を知らないソーシャルワーカー」の作るケアプランは「机上の空論」的内容が多い。おむつ交換や移乗など、それぞれの技術や時間を知らなければ、そりゃ難しいだろう。

 

もし、「いいや、できる」というケアマネがいたら、よほど外部から勉強したか、そもそもケアマネ業務をやってないんじゃないかと思う。

 

知らんでも、現場で見聞きすればよいのだが、そもそも「介護現場に行くのも、利用者のふれるのは嫌!」ってソーシャルワーカーも知っている(笑)。

 

だから、「現場にいなくてもよい仕事」を選んだのだろう。でも、全く行かないわけにもいかんし、ろくなケアプランは作れないから、ケアマネ業なんてできませんよ。

 

むしろ、「お勉強」ができるなら、ケアマネよりもお役所などで相談援助業務をやったほうが向いてます。介護現場経験者のケアマネはケアマネで、また問題はあるのだが(笑)。

 

ケアマネには「これでいい」という型を作りにくい仕事だから難しい。利用者状況や市区町村のやり方にそれぞれバリエーションが有り「標準化」が難しいのだ。

 

したがって、介護保険の「ケアマネジメント」とは、学術上の「ケアマネジメント」とは、似て非なるものにならざるを得ないが、それでもケアマネならば、きちんとやれなければならない。

 

また、介護職がケアマネになった場合も、文章を読むのも、書くのも苦手な人が多いせいで「記録が残せない」「何を書いたら良いかわからない」となるので、後回しにしてしまう。

 

「いつかやろう」がやがて山積みになり、その結果「手がつけられなくない!」となるパターンをよく見る。

 

「何を、どのように書いたらわからない」

「文章が作成できない」

「パソコン入力ができない」(でもスマホは使うんだよな・・・。)

 

これらの原因は、その人自身の「スキル」の問題でしかない。もちろん、これは新人ならばわかる。佐藤にも新人時代があるからだ(笑)。新人時代どころか、現場にいる間中、書くには書いたが文章作成は苦手であった。

 

でも、佐藤には「師匠筋」となってくれる先生がいた。だから、折りにつけ、「現場の気持ちを発信しなさい」と書く機会をいくつもいただいた。

 

佐藤は断ることもできず(内心は嬉しいし)、せっせと頑張って書かせていただいた。これが後ほど(過剰な?)自信につながったのかも知れない(笑)。

 

ただ、現場から離れて、こうして書き仕事もするようになって、初めて文章を書く面白さ(恐ろしさ)の一端がわかったような気がするのだ。

 

現役ケアマネさんからは「もはや、あなたは現役じゃないでしょう?」と言われそうだが(まだ言われたことはないけど)。

 

まぁ、現役でいるケアマネさんは、研修で講師をしていても、本当に自分がやっているのやり方などは、なかなか披露しないし、できないから。

 

自分のやり方が「どこか、おかしい(間違っている)かも知れない」という恐怖心があるし、指摘されたらやはり怖いだろう。守秘義務もある。いくら名前などを伏せても、どこから漏れるかわからない。それに同業者は、たとえ同じ事業所内でもライバルである。そうそう簡単に大事な技術や方法は教えたりはしない。だからこそ、技術とは言い古されたように「盗む」ものなのだ。

 

だから、地域包括のケアマネさんに「事例を見せて(出して)欲しい」と言ってもなかなか出してはくれない。

 

研修に来る包括のケアマネが「現役のケアマネの予防プランがみたい」と言っても無理。そういう自分自身も、もし講師をやってもプランや事例なんて出さないだろう(笑)。

 

だから、研修用の予防プランなどを毎回、作成してくれる島根県のケアマネ・三浦氏などは本当の実力者と言えるのだ。

 

ケアマネに限らず、ある仕事に携わって「新人」と言われなくなるのは、長くいるからではなくて、「スキルが上がる」からである。そうでなければ、新人よりも始末が悪い。

 

仕事を始めたころは、習うことが多くて、目が回りそうになる。でも、良い先輩や上司たちに教えてもらったり、あるいはやっているところを盗み見たりして覚えるのだ。

 

もし、先輩や上司に習う人ような人がいないなら、本を読むなり、自ら外部研修に参加するなど、それぞれの環境でスキルを上げていくのが社会人である。

 

少しずつでも技術を身につけていくと、ある日、突然、力が目に見えて向上していることに気がつく。

 

新人の頃に時間の掛かった作業でも、楽にできるようになっているからだ。そうすると組織はまた仕事を増やすと(笑)、またスキルアップする。仕事とはそれらの繰り返しの活動と言える。

 

当たり前だが、努力しなければ、いつまで経っても力は変わらない。まぁ、介護業界にありがちな人材人災とも)ではある。

 

「ある日、目が覚めたら記録の達人になっていた」

 

ということは、カフカ『変身』以上にありえない話である。

 

プロの方々は忙しい中でも、スキルを上げて時間を作る。その時間で体を休めたり、遊んだりするのも良いが、それだけでは優秀な後輩たちが来れば、その後塵を拝しかねない。

 

さらなる技術を身に付ける(資格を取る)など、初期段階で有効な時間活用ができたものだけが残り、評価されるのが仕事である。やがて自らが教える側になる。

 

「自分はなりたくない」という者がたまにいるが、そういう輩は、たとえ人手不足でも、やがては組織から不要とされかねない。

 

実は、佐藤は、介護支援専門員の資格をあたため直している(つまり再研修受講)。実習もやったし、研修報告書も作成した。協力して頂いた皆様、有り難うございました。

 

介護支援専門員の資格を取ったころと比べて、自分が「変わった」と思ったのは、自分が「(この書類で)書くべきこと」が分かっているということである。

 

また、こういう教え方では、参加者に伝わらないだろうなぁという所も散見した。なんせ多人数で、新人とベテラン、ペーパー資格者までを相手にするのだから仕方がないところもある。

 

どこかに力点を置かねばならないのだが、結局、どっちつかずになっているのだろう。講師も慣れていてもなかなか対処が難しいところでもある。

 

こう考えられるのも、現場経験を経て、介護支援専門員となり、さらに10年近く、「介護支援専門員育成に携われた成果」であろうか。

 

つまるところ、介護支援専門員の書く記録は、必要な帳票の「書くべきことが分かっていないと書けない」ということに尽きる。では、ケアマネは書くべきことは、どう身につければよいのだろうか。

 

現行では、公的な研修制度を活用し、介護支援専門員研修にて、介護支援専門員の「支援経過記録」「居宅サービス計画」「サービス担当者会議」などの必要性を説くだけではなく、それに併せて「じゃ、何を帳票にどう書くのが良いか」を一(イチ)講師の一指針としてであっても、示して指導する必要があるだろう。

 

自分も資格をあたため直してよくわかったが、新旧混ぜて研修しても、ケアプランの見本を示さないと、本当の新人には、全く理解できないのだ。

 

介護予防と違ってこの業界に。それなりのノウハウが確立している(はず)。想像上の利用者であっても「それなり」のプランができなくては研修講師は務まらないのだ。

 

もし、ケアプランやアセスメント方法を指導している講師で、自身で作ったケアプランを提示できない人が入れば、その方の「ケママネ力」は信用できないし、その方は「ケアマネ資格保持者」というだけで、「元ケアマネ」とは言い難い。

 

介護保険下でのケアマネの評価は「ケアプランを作ってなんぼ」(ほんとは他にも大事なことはあるのだが)である。それがすべてではないが、ケアプランを作れない人が、「何、教えるんですか?」とは当然の疑問であろう。

 

現実は、ケアプランとは利用者ごとの多様性が求められるものであり、講師が示すパターンにも限界がある。すべてのマニュアル化はできないし、そういう種類の作業ではない。

 

あくまで指導時の集大成として、「ケアプランとはこのようなもの」と例を示すことが重要であろう。

 

介護支援専門員を指導している先生たちにしてみれば、「記録を書く」「文章を作成する」なんてことは、「できて当たり前」と考えているかも知れないが、現場で働いている人々の中には、記録も文章が作れない方は、たくさん存在している。

 

できる人のレベルは、確実に上がっているが、できない人のレベルは、資格草創時から全く変わらないのだ。低い、低すぎるのだ。

 

その元凶の1つに、介護支援専門員試験の受験者は、事前に「介護支援専門員」という仕事の業務内容を知らされる機会が(まず)ないことにあると思う。

 

身近に介護支援専門員いても、その時点ではあくまでも「他職種の人間」であり、丁寧に教えてくれる時間など、それこそないだろう。

 

だから事前の業務知識はほとんどない(勘違いは多々あるが)。そのまま、試験を受け、運よく(悪く?)受かると、その職に就けば「こんな仕事とは思わなかった」となりやすい。

 

このケアマネ試験では、適性もわからないし、試験自体が選択問題で、記述・論述問題はなし。試験に受かって研修を受講し、登録すれば、晴れて介護支援専門員業務に従事できるのだ。恐ろしい。

 

普通に考えれば、よほど、先輩・上司が丁寧に指導してくれない限り、必要書類を書くことすら難しいだろう

 

「書類の書き方」指導など、今の研修項目(おそらく今後も)にはないのだ。事業所でできないものを地域でやれというのも無理がある。

 

「個人情報保護」が有名無実のものになってしまうし、先ほども述べたがノウハウなどまず他事業所のケアマネになど教えない。

 

以前、実際の研修での内容をブログに載せようとして、ストップがかかり、アップしなかったことがいくつかあった。

 

改めていう。「同業者は、みなライバル」なのだ。

 

研修内容も、講師によって指導がバラバラで、繋がっていかないのが難点であるが、他職種と比べては、恵まれていると思う。

 

医師や看護師は、どんどん技術が進んでも、自ら学びに出向かない限り、公的な研修など全くない。大学病院はまだしも開業医はすべて自己責任・自己負担(助成はあるかもしれんが)である。プロなら「習ってません」では通用しない。

 

そもそも、介護支援専門員という資格を取得した専門家であれば、「プロ意識」を持ち、自分の能力を磨き続ける必要があるのは当然なのだから。

 

 

長くなったついでに、以下も余談である(笑)。

 

このたび、国は介護支援専門員の研修内容を大幅に変更した。これは、先に行われた「介護支援専門員の資質向上と今後のあり方に関する検討会」の「中間的な整理」(取りまとめ)で取り上げられた。

 

介護支援専門員の研修がより実践的となるよう演習に重点を置くことや、選択制となっている「認知症」「リハビリテーション」「看護」「福祉用具」といった課目を必修化することが指摘されたことを受けて改変されたものである。

 

もちろん、調査研修を受けてカリキュラムを見直しを行うのは良いと思う。知らないよりも知っているほうが良いに決まっている。

 

でも、介護支援専門員の仕事は、他の専門職の話を聞き、知らないことは確認し、プラン化するのであって、自らが技術を提供するわけではないのが介護支援専門員なのだ。

 

この国は、どこまでも専門職を頭でっかちな「専門バカ」に仕立て上げ、若人は、手を変え、品を変えのゆとり教育で、頭を「空っぽ」にしたいらしい。

 

いろいろな知識も必要だが、介護支援専門員は業務の原点である「記録には何を書くのか」「居宅サービス計画の文章の作成方法」に重点を置いて指導しなければ、今後も、「支援経過記録がない」「居宅サービス計画が作成されていない」等の問題は一向に減っていかないのが心配である。

 

対人援助の専門家は、やった仕事を「やりぱなし」にするのではなく、最後まで自分の仕事に責任を持ち、「したことの記録」はその都度残さねばならないということを肝に銘じておく必要があるだろう。とりあえずここまで。

 

(つづく)

【その5】

 今だからこそ、読んでみた!

『「動かない」と人は病む 生活不活発病とは何か』

そして今の介護業界の問題点について

 

これは、かつて、大川弥生氏(国立長寿医療研究センター生活機能賦活研究部部長)が講談社現代新書(2013年5月)として世に出した本である。

 

彼女は、これまでリハビリテーション医学や介護に関する書籍を多く出版している。佐藤も『新しいリハビリテーション人間「復権」への挑戦』(2004:講談社現代新書)『「よくする介護」を実践するためのICFの理解と活用 目標指向的介護に立って』(2009:中央法規)なども読んでいた。

 

彼女は医師であり、当然のことだが専門的な物事の見方、捉え方、考え方をして書かれているので内容もなかなか難しかった。いや、そう思って読んでしまっていた。

 

だが、この『「動かないと人は病む」生活不活発病とは何か』を読んでみると、生活不活発病について、事例を多く扱っており、「医学」「介護」というだけの視点の問題ではななく、それらへの対応法が紹介されていて、非常に面白かった。

 

介護・福祉業界にいると、知らず知らずに、医療従事者と介護・福祉の従事者がそれぞれの間に38度線のような「線引き」行っており、互いに相手のいうことをわかろうとしなくなっているようだ。

 

この本のキモでもあり、原点である国際生活機能分類(ICF:International Classification of Functioning, Disability and Health)は、人間の生活機能と障害の分類法として、2001年5月、世界保健機関(WHO)総会において採択されている。

 

これらの特徴は、これまでのWHO国際障害分類(ICIDH)マイナス面を分類するという考え方が中心であったのに対し、ICFは、生活機能というプラス面からみるように視点を転換し、さらに環境因子等の観点を加えたことである。

 

そして、厚生労働省では、ICFの考え方の普及及び多方面で活用されることを目的として、ICFの日本語訳である『国際生活機能分類-国際障害分類改定版-』を作成し、平成14年8月5日より、厚生労働省ホームページ上での公表し掲載している。

 

これ、たまに「改訂版」とされているが、意味的には「改定版」でしょうね。中央法規さんはちゃんとなってましたが(笑)。

 

このように平成14年から、公表されているICFであるが、はたして介護の世界にこの考え方は浸透しているのであろうか? あれから、すでに12年、再び注目されつつある。

 

佐藤は、この間も、課題分析で得た情報を、ICFの概念図にある構成要素を使って、「心身機能・身体構造」「活動」「参加」「環境」の視点からまとめるよう説いてきた。

 

これも良く書くのだが、非常に勘違いされやすい点は、大川氏そのものの論は、医師として、リハビリテーションのコ・メディカルの方々とのチームケアについての視点で語る部分がメインであった。

 

そのせいか、国は、われわれ介護・福祉業界に対して、ICFの詳細分類や定義に基づいて、「ケアプランを作れ」と言われているかのように感じる人がいる。

 

でも、国は、また彼女も、そんな無理なことを言ってはいないのだ。第一、そんなことはリハビリの専門家たちでもなかなかできていないのが現状である。

 

簡単に言えば、ICFに出てくる図で「ICFの構成要素間の相互作用」を応用したら?というだけの話である(アッサリ)。

 

介護関連のICFの書籍を見ても、そこから独自に展開する人はいても、ICFそのものを使っている人を見たことがない、いや、いないとまではかまでは言い切れないが、「使え」と言われても、「はいそうですか」とマネすることはできないシロモノである。

 

そのことは、介護や福祉業界で、人を育てる仕事をしている人間なら、誰でもわかっているはずだ。

 

指導者の中には「ICFなど、(介護で)外国で使っているのを見たことがないし、聞いたことがないという人がたまにいる。

 

まぁ、どれほど学識と現場知識、語学力を持ち、どのくらいの期間、取材なさっかはわからないが、ただの「お客さん」扱いで、1か月くらい、片言の英語で、外国の施設を見せてもらっても、「何がわかるのか」がわからない(笑)。何年も頑張って、丁寧に取材しても何年もかかるだろう

 

どこの国も、自国(自施設)の悪いところを見せないのは、世界常識である。だから、ちょっとやそっと見ただけで、わかった気になったりしてはいけないのだ。そもそも、外国の制度や方法で、(他国で)すぐ使えるものなど、そうそうないのだから

 

また「反ICF」(実はただの非ICF?)の人たちは、ICFを良くわかっていないのだろう。もともと、誰もICFそのものを使えとは言っていないし、使っていないのだ(笑)。

 

彼らは、ただ、自分と「利益が相反する人間」を、反射的に攻撃している過ぎないのだろう。

 

そもそも、ICFは、ケアプランのアセスメントツールというわけでもない。ルールの「縛り」が他のやり方よりも格段と少ない。

 

それを何を提案・導入しても、ろくろく学ぼうとしない人がいる。

 

「時間がない」「難しい」をただ繰り返す人々に、医師でもやっと使えるような方式を覚えろっていうのか? それこそ、無茶な話ですよ(笑)。世間知らずというかなんというか。

 

医療保険と介護保険、さらには地域支援事業も、それぞれ連携はできても、法的には別物。第一、特養でのデータなど、入院先の病院がどれほど尊重しますかねぇ?

 

STAP細胞騒動でも、根は同じである。発表前、最初に内部での検証(議論)が全然されていない。議論を好まず、ただの座談会である。だから一部のスーパースターを除いて、国際的に日本の学者さんが、なかなか世界から信用されないのでは? 

 

医療現場はともかく、介護現場では選択方式のアセスメントなど、楽なだけで、ほとんど役に立たない(笑)。数値がものをいう看護師さんだって、もっと細かい記録をつけている。

 

介護職は、就業後も、多くが全然スキルアップしていかない。だからルーチン作業ですらいつまでも早くできず、新人もベテランも同じレベルであり、時間がかかるところが多い。

 

スマホの使い方はすぐ覚えても、仕事では簡単な事もなかなか覚えない。これじゃ1年やっても自分も周りも楽にはなりませんて。

 

佐藤が、ICFの概念図にある、構成要素を使って課題をまとめようと考えたのは、「介護支援専門員の資質向上と今後のあり方に関する基礎調査結果」を受けて、ケアプランチェックの結果、主治医の記載がないとか、課題が多い、日常生活の活動が明記されていないなどの指摘を受けたことがきっかけとなり、人間の「生活のすべて」を網羅した課題を抽出できるように、と考えた手法であるのだが。

 

現場を知らないのか、恣意的なものかはわからないが、バカバカしい発言や見解を示す学者さんたちが多いので書いてみた。なんせ、否定的なことをいう割に、ほとんど現場経験がある人の発言には聴こえない。そういう人がたくさんしゃべると、「実はただのど素人」とすぐにわかる(笑)。

 

さて、大川氏の本である。佐藤は今更と思いながらも、たまたま「ひゃ~参謀」が読んでいた、『「動かないと人は病む」生活不活発病とは何か』を読み衝撃を受けたのだ。

 

例えば、介護技術でよく使われる言語、「健康(元気)な方の足に力を入れて立ちましょう」である。

 

実はこれ、何らかの原因で、片麻痺となり、車いす生活をしている利用者は、麻痺がない方の足も「決して元気ではない」ということをわれわれは忘れがちである。

 

つまり、麻痺のない足でも、活動させていないと、いざ動かそうとしても、「元気な足」としての役割を果たせないということなのだ。

 

もちろん、廃用症候群(生活不活発病)からの脱却方法は、寝たきりにさせないことである。そのため、介護現場でも、このことを重視してベッドから起こすことに躍起にはなった。だが、ただ体を起こす(座らせる)ことだけで満足してしまった。

 

その結果、車いす上で「起こしたきり」状態の「動けない高齢者」を作ってしまった。

 

かくいう佐藤も、かつて、施設で働いている時に、食後、居室に戻って横になりたいという方も「もう少し起きていましょうよ」とよく話しかけていた。今、思えば、それらは無茶でもあり、たいした意味を持つ援助ではなかったのだ。

 

利用者は、ベッドに寝ていなくても、車いすで座っているだけでは、生活の不活発な状態は改善されないのだ。

 

だから、少しでも麻痺のない「元気な足」の力を維持し、その人らしい自立した生活を支援するのであれば、定期的に除圧目的でも良いので、他の場所への移乗・移動を多く行うことが望ましい。もちろんやり方は、医師・医療従事者と考えていかねばならないだろう。

 

この本で、大川氏が言いたいことは(と佐藤が思うのは)、身体的しょうがい(言葉狩りは好かんが本の主旨に合わせた)が重篤な人だけではなく、むしろ、疾病を発症していない元気な人々に向けて、「動かないと人は病む」ということを説いていることにある。これはまさに経験を積んだ医師の視点だと思う。

 

さてさて、来年は団塊の世代が、65歳を迎える年、多くの方々は、再雇用され、働かれるかもしれない(笑)。その一方、長年、勤めて来たんだから、少し休もうかなと思っている方もいるかもしれない。

 

この本は、その「お休み」の計画をされている人々に警鐘を鳴らしている。人は、目標を持ち、活動していることで、体も、そして心も元気な状態を維持できるのだ。

 

「ICF生活機能分類? 難しそうだ」

 

ハナから拒否してしまっている、介護現場の皆様。この本ならば、他人様を介助する上で何が必要なのか。職種を越えて理解できると思いますよ。本はやはり学ぶことが多いですな。

 

まぁ、生活不活発病を理解してほしい人々には、なかなか読んではくれないのだが・・・・これは、皆さんのことだけではなく、実は我が家にも・・・(苦笑)。

 

しかし、給付削減の目的で、頑張って成果をあげているケアマネさんたちまで、非難するのは許しがたい。お先棒を担いだ人間はだれなのか。しっかり見ていきましょう。

 

「晴天を誉めるなら夕暮れを待て」

 

人間、最後まで輝いていたいものですね。ではまた!

 

(つづく)

浅草神社の夫婦狛犬さん
浅草神社の夫婦狛犬さん

 【その4】

 対人援助職が行うコミュニケーションに必要な能力とは

~深い自己理解と、他者の世界の探求心~

 

コミュニケーションとはなんであろうか端的に言うと、

 

 「言葉や行動で相手と感情や情報のやり取りをすること」

 

であろうか。

 

人は、自分とは違う他者とかかわりを持って生きている。この他者とのかかわりの中で重要なものが「コミュニケーション」である

 

(株)ヒューマンスキル開発センターの講師・刀根 健(とね・たけし)氏は、このコミュニケーションには、6つの段階があると説く。

 

レベル1:引きこもり

(人とかかわらない、話さない、コミュニケーションしない。)

この段階には、睡眠・学習・思考・読書なども入る。これらの行動は人として必要なもの。でも、これが一定の基準を超えてしまうと「引きこもり」となる。

 

レベル2:儀式

あいさつや、儀礼的な会話など、人が他者とかかわる時の、最も浅い段階。

 

レベル3:おしゃべり、無駄話

儀式よりもちょっと深くなり、相手の存在や自分の存在を認め、かかわっている。

ただ、自分の大事な気持ちを話したり、何か生産的なことをやろうとする時には、

浅いかかわりである。

 

レベル4:活動

仕事や家事のやりくりなど、生産的な活動をする時に使われる段階。

問題解決とか、生産的な行為をトラブルなく進めていく時のレベル。

 

レベル5:繰り返されるネガティブなコミュニケーション

不特定な人物の悪口や陰口ではなく、ある特定の人物との間で繰り返される、ネガティブなコミュニケーションのパターン。活動レベルよりも、深いかかわりだが、双方に不快をもたらせる。あとあとになって、「あ~あ、またやっちゃった」と思うこともある。

 

レベル6:親密さ

本音と本音のやり取りのこと。お互いに自己開示を行い、オープンに話す。

 

 

対人援助をする人々は、コミュニケーションには、このような各段階(レベル)があることを認識しておく必要があるだろう。

 

次は深い自己理解について。あなたは「他者が、自分のことをどのようにみているのか」が気にならないだろうか。私もそうであるが、多かれ少なかれ、「他者からの視線」は気になるものである。

 

これも当然である。人それぞれが、好き勝手なことをやっていたら秩序が乱れてしまうもの(笑)。ただ、度を超せば、自分の存在自体を見失う「悪の根源」になりかねないので、注意が必要だ。

 

なぜならば、それは、他人からの視線(視点)を気にするばかり、とにかく他者から気にいられよう、という物事の見方、考え方、捉え方、行動の仕方に、自分が支配されやすくなるからだ。

 

例えば、他者の目に映った、自分を意識して、

 

「自分はどう見られているのか」

「自分はどう思われているのか」

「こんなことをいうと、自分は嫌われてしまうのではないか」

「自分は変な人と思われていないだろうか」

「私(自分)のとった行動を怒っていないだろうか」

「私(自分)は、できない人とと思われてはいないだろうか」

 

などなど。

 

現代人は、このようなことを、心のどこかで常に意識している生き物でもある。でもこれって「他者からみた私(自分)」であり、「あなたのボスは、あなた自身」という状態ではなく、「あなたのボスは他者」状態である。

 

こういう状態の程度が、深ければ深いほど、何をいうのも、どのようなことをするにも、全て「他者から見た私」を意識してしまい、「自分らしく振舞うこと」ができなくなるかも知れない。もちろん、当の本人自体は、そんなこと露ほども思っていないかも知れないが。

 

「対人援助を行う人」であれば、他者からの視線や視点を理解しようと努力しつつ、

 最後は「自分」の視点(物事の見方、考え方、行動の仕方)に戻って決断すること

 が大事。

 

そこには、対人援助職として身につけている(はずの)「知識」「知恵」「教養」

に裏付けられた、深い自己理解がある「はず」なのだ。

 

次に他者理解について。

 

人々は何かにつけて語るだろう、「相手の立場になって、物事を考えなさい」と。

 

しかし、これって案外(?)難しい。なぜなら、相手の立場になること自体が「不可能」であるからだ。

 

だけど、対人援助職で「相手の立場になんかなれないよ~」などとぼやいていたら、仕事にはならない、というか仕事が来ないであろう。

 

そこで「相手の立場になって物事を考えること」は諦め(?)、「相手の立場

 (視点)を想定し、物事を捉え直すこと」を意識してみよう。 

 

「相手の立場になって、物事を考えなさい」から、「相手の立場(視点)を想定し、物事を捉え直してみなさい」への転換である(笑)。

 

しかし、これはこれで結構難しい。なぜならば、それは、自分の中にはすでに「自分の視点からの、物事の見方、捉え方、考え方、行動の仕方」が存在しているからだ。

 

うーん、なかなか、「相手の立場(視点)を想定し、物事を捉え直すこと」も難し

 い。

 

でも、より良いコミュニケーションをしょうと考えるのなら、まずは「自分の視点からの、物事の見方、捉え方、考え方、行動の仕方」(自分の常識)をよくよく理解した上で、それらをいったん「思考の脇」へ置いておく。

 

その上で「相手が、どんな物事の見方、捉え方、考え方、行動の仕方」、つまり「相手の常識」をしているのか、それを想像してみることも重要なのだ。

 

これが「もっと相手の気持ちに寄り添うこと」への第一歩ではないだろうか。さて、先述したコミュニケーションの6つの段階(レベル)を意識したコミュニケーションを記述しようと思う。

 

まぁ、実際には、そうそう、このようにうまくいくとは限らないが。

 

レベル1:まずは、他者とかかわってみる

○◇さん宅を定期訪問する。

 

レベル2:次はあいさつ

ここでするあいさつは、少し込み入ったあいさつとなる。

 

「おはようございます。お元気ですか? いかがお過ごしでしたか?」など。

 

レベル3:おしゃべり、無駄話をする

「だいぶ、アジサイの花が大きくなってきたから、そろそろ梅雨に入るの知れませんねえ。そうそう、前にお嬢さんが「○×の資格研修に参加した」と話されていましたが、もう終わったんですか?」

 

レベル4:活動

「今日は、月1回の定期訪問です。はい、これ来月の予定表です。ところで、お体の具合はいかがですか? どこもお変わりありませんか?」

 

レベル5:繰り返されるネガテイブなコミュニケーション

 「え? ふんふん。また、左手がしびれるのですね」

 「そうですか。どうせ治りっこないから、リハビリはやりたくない、と」

 

レベル6:親密さ

「ところで、そのしびれは、何かをしている時に強く、出るんですか?」    

「 (○◇さんの言葉)」

 

「ええ、朝、目が覚めて、動こうとすると、強い痛みがある、と。そうですか。それで起き上がるのに時間がかかって困っている、というわけですか」

「  (○◇さんの言葉)」

 

「それは、さぞかし、辛いでしょうねぇ」

「  (○◇さんの言葉)」

 

「え? 動き始めて台所に行くころには、そのしびれは少なくなるんですか?」

「  (○◇さんの言葉)」

 

「そうですか、そうですか。動き始めれば少なくなるのですか」

「  (○◇さんの言葉)」

 

「そこでリハビリの効果もあるのかもと思われているのですね」

「  (○◇さんの言葉)」

 

「それで、来月も張り切ってみょうと思うわれているわけで・・・」

「  (○◇さんの言葉)」

 

「もし、○◇さんの言うように、リハビリ効果が出ているとしたら、それは、かなり素晴らしいことじゃありませんか。そうですよね、休まず頑張ってい ますものね」

「  (○◇さんの言葉)」

 

「当たり前のことですが、○◇さんが自分のことを自分でされる分、娘さんが頑張って取った資格が活かした職業に就けるというもんですよねぇ」

「  (○◇さんの言葉)」

 

「なるほど! ○◇さんは、娘さんに迷惑をかけたくないという気持ちがおありなんですね~」

「  (○◇さんの言葉)」

 

「では、来月も今月同様、張り切りましょうか。何かお困りごとが起きましたなら、遠慮なくご連絡ください」

 

レベル6では、○◇さんの言葉は省いていますが、対人援助職が発する言語で、○◇さんの話している内容が理解できるのではないでしょうか。

 

え? 対人援助職の言語がわざとらしいっですって。もちろんわざとですよ。

 

でも、そのように思われる方は、まず「自分の物事の見方、考え方、捉え方、行動の仕方」を脇(横)に置き、再度、コミュニケーションに必要な知識を思い出してみてください。

 

ではまた。

 

(つづく)

叫ぶチキンもあるぞ
叫ぶチキンもあるぞ

 【その3】

いのちをつなぐ看取り援助

~特養の介護を支える経営と看護から~

 

施設での看取り援助が、産経新聞に掲載された。社会福祉法人ファミリーが運営するユニット型の特別養護老人ホーム・ハピネスあだち(東京都足立区)では、年間約30人の利用者を施設で看取っている。

 

定員は150名・全室個室、ワンフロア5ユニットで形成されている。もちろん看護師は24時間配置され、介護福祉士は、50時間の研修を受け喀痰吸引等の行為ができる者を配置している。施設での看取りという環境をつくったのは、前・施設長の小川利久氏である。

 

小川氏は「特養への入所自体が看取りのプロセス」として、家族の理解を得るために、2012年度から「看取り援助勉強会」と名付けた勉強会を開いてきた。

 

毎月1回開催し、毎回30~40名のご家族がご参加する。勉強会では、看取り援助は、法律上どのような位置づけにあるのか? 看取り援助とは実際にどのような援助をするのか? 食べられなくなったら人間はどうなるのか? などなど。

 

看取り援助そのものを分かりやすく伝えるよう心がけてきた。その結果参加された方の中には、

 

「看取り援助についてとても良く理解出来ました。勉強会に参加して、(看取り援助)不安がなくなりました」

 

と話す家族もおり、改めて、看取り援助をやる意義と情報を伝えることの重要性を認識したという。

 

小川氏と、同施設の・看護師の小林悦子氏は、この間の取り組みを1冊の書籍にした。

 

『いのちをつなぐ看取り援助~特養の介護を支える経営と看護から~』

  小川利久・小林悦子・著、(株)エイデル研究所、2013年1月発行

 (1714円+税)。

 

この本には、看取りへの取り組み、施設で一緒に過ごした方を見送る姿勢など、写真によって視覚的にもわかりやすい構成になっている。

 

言わずもがなだが、病院等で人が亡くなられた場合、多くの方が裏口から退場していく。

 

しかし、ここ、ハピネスあだちでは、職員・入居者の方々がエントランスに集合し、その方のお見送りをするのである。

 

入居者にしてみれば、自分が「最後を迎えた後」、自分もどのように送られていくのか。自らもその儀式に参加することにより、理解することになる。

 

私は、この施設の訪問時に、偶然このお見送りの儀式に遭遇し、参列させて頂いたことがある。もちろんその方とは面識はないが、私を含めて、そこで展開されていく儀式は、ごく自然に行われていくのだ。

 

車いすに乗り、お見送りに参列した人々は、

 

「○○さん、ありがとう。向こうでまっててね」

 

とそれぞれの想いをこめて亡くなった「仲間」を送り出していた。佐藤は、その光景をみて胸が熱くなった。

 

あの気持ちが、いま再び湧き起こってきた。

 

この施設では、看取り援助の取り組みを、地域の方々にも理解して頂くために、2013年度は入居者ご家族だけでなく、地域の方々にも対象にした「看取り援助勉強会」を開催したのである。

 

その結果、地域住民の参加もあり、加えて「今度は葬儀の仕方などについての勉強会もしてほしい」というリクエストまで頂いた。

 

「死」は避けられない。それゆえに死を語ることについてさえも、タブー視されがちなこともある。でも、最後のステージをどこで迎えるのか。誰にとっても大きな関心事ではないだろうか。

 

ハピネスあだちの職員は、この取り組みを東京都社会福祉協議会・主催の「アクティブ福祉in東京'13」にて発表した。

 

「「看取り援助勉強会」の定期開催がもたらした家族の意識変容」と題する演題で研究発表を行い、なんと、医療ケア・ターミナルケア分科会で、東京都福祉保健局長賞を受賞した。素晴らしい!

  
ハピネスあだちの取り組みは、下記ブログでも発信されている。

 

◆ハピネスあだちブログ第2弾「福祉はまちづくり」

 http://blog.goo.ne.jp/happiness-adachi2

 

このハピネスあだちの取り組みは、今月の15日、産経新聞の[ゆうゆうLife]にて紹介されたことを報告して、筆をおきたい。

 

◆産経新聞(2014.05.15)

   http://sankei.jp.msn.com/life/news/140515/bdy14051511250001-n1.htm

 

(つづく)

谷保天満宮のニワトリ
谷保天満宮のニワトリ

【その2】

地域ケア会議演習用DVDのご案内

 

平成25年度、地域ケア会議運営に関する実務者研修が行われた。こちらに参加された方はすでにご存知かもしれない。

 

この研修は、平成25年度の地域ケア会議運営にかかる実務者研修資料をもとに行われ、実務研修では、厚生労働省が作成した、演習用DVDが用いられ、地域ケア会議に取り上げるまでの事前準備、会議当日の運営、個別課題解決から地域課題の抽出に至る経過等、一連の流れが事例をもとに作成されている。

 

また、平成25年度の地域ケア会議運営にかかる実務者研修資料には、DVDに収録された事例を使用した演習ができるようになっている。地域包括支援センターのみならず、居宅介護支援事業所や、サービス提供事業者の方など、地域ケア会議のプロセスやその役割を学ぶのに良いツールになると思われる。

 

ここに、その演習用DVD(約30分程度)と資料(84ページ)を添付しので、必要に応じてご覧いだたれば幸いである。

 

◆2013年度地域ケア会議運営に係る実務者研修演習用DVD

 http://www.youtube.com/watch?v=SERHyeWEdk4

 

※注意1)このDVDは、地域ケア会議を運営する上で求められるコーディネート機能と、そのプロセスを学んで頂くことを目的として作成しており、平成25年度の地域ケア会議運営にかかる実務者研修の演習事例となった「Aさん」について、地域ケア会議に取り上げるまでの事前準備、会議当日の運営、個別課題解決から地域課題の抽出に至る経過等、一連の流れを収録したものである。編集の都合上、利用者・家族からの聞き取りや会議での発言内容等を一部省略しておりますのでご了承下さい。なお、登場人物はすべてフィクションである。

 

※注意2)視聴時のお願い:地域ケア会議の基本的な内容や演習事例等について、平成25年度地域ケア会議運営にかかる実務者研修テキストp39~p79に記載されているので、必ず参照して下さい。

 

◆平成25年度地域ケア会議運営に係る実務者研修資料についてのページ

   http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/0000...

 

(つづく)

ひゃ~のバラ(2014春)
ひゃ~のバラ(2014春)

【その1】

新しい介護予防・日常生活支援総合事業(総合事業)について考える~介護の専門家として、インフォーマル(自助・互助)な資源を支える取り組みをはじめよう~

 

(1)介護保険制度の地域支援事業の枠組みの中で、平成24年に導入した介護予防・日常生活支援総合事業を発展的に見直し、現在、事業実施が市町村の任意となっているが、総合支援事業について必要な見直しを行ったうえで、平成29年4月までに全ての市町村で実施すること。

 

(2)サービスの種類・内容・人員基準・運営基準・単価等が全国一律となっている予防給付のうち、訪問介護・通所介護については、市町村が地域の実績に応じ、住民主体の取り組みを含めた多様な主体による柔軟な取り組みにより、効果的かつ効率的にサービスを提供できるよう、地域支援事業の形式に見直すこと(平成29年度末には全て地域支援事業に移行)。

 

(3)総合支援事業の事業費の上限は、事業への移行分を賄えるように見直すこと。

 

(4)訪問介護・通所介護以外のサービス(訪問看護・福祉用具等)は引き続き予防給付によるサービス提供を継続すること。

 

(5)地域包括支援センターによるケアマネジメントに基づき、総合事業のサービスと予防給付のサービス(要支援者)を組み合わせること。

 

(6)総合事業の実施に向け基盤整備を推進すること。

 

(7)国は、指針(ガイドライン)を策定し、市町村による事業の円滑な実施を支援すること。

 

そこで、要支援者に対しては、地域包括支援センターがケアマネジメントを実施し、介護予防給付内では、訪問看護、福祉用具等(全国一律の人員基準)を提供。また、総合事業として介護予防・生活支援サービス事業を実施する。

 

1.訪問介護・通所系サービス(運動・口腔・栄養改善事業を含む)。

2.栄養改善等を目的とした配食・定期的な安否確認・緊急時対応等(事業内容は市町村の裁量を拡大・柔軟な人員基準・運営基準)を提供する。一般介護予防事業(その他の体操教室等の普及啓発等、全ての高齢者が対象)を提供する。

 

介護予防・生活支援サービス事業対象者(チェックリストで判別)に対しては、市町村・地域包括支援センターがケアマネジメントを実施し、また、総合事業として介護予防・生活支援サービスを実施する。

 

1.訪問介護・通所系サービス(運動・口腔・栄養改善事業を含む)。

2.栄養改善等を目的とした配食・定期的な安否確認・緊急時対応等(事業内容は市町村の裁量を拡大・柔軟な人員基準・運営基準)を提供し、一般介護予防事業(その他の体操教室等の普及啓発等、全ての高齢者が対象)を提供する。

 

一般高齢者に対しては、一般介護予防事業(その他の体操教室等の普及啓発等、全ての高齢者が対象)を提供する。

 

現在、多くの訪問介護事業所や、通所介護事業所が、来年度の法改正において、すでに存在している利用者の支援できなくなると考えているところが少なくない。

 

そこは、予防給付を段階的(27~29年度)に廃止を考えており、来年(2015年)の4月から「すぐに切り替わるわけではない」ということを理解する必要がある。

 

ただ、保険者によっては、通所介護の小規模な事業所を、総合事業として位置づけようと考えているところもあり、自分が住んでいる保険者の動向を注意深く見守っていく必要があるでしょう。

 

とはいえ、平成29年までには、総合事業として吸収されるていくと思われるので、先を見通して事業計画を作成した方が良いのは確かであろう。

 

総合事業として提供される訪問介護や、通所介護のサービスとはどのようなものであるか。

 

この総合事業の実施に当たっては、市町村の創意工夫により新しい事業を創出するとともに、さらに各事業の中にさまざまな工夫を加え、柔軟に事業を組み立てることが可能ではある。

 

また、地域における互助・インフォーマルな支援の活用、民間事業者によるシルバーサービスの活用など、従来の枠組にとらわれないサービスの創出が期待されている。

 

例えば、

 

・公民館ないし保健センター等で、機能訓練に併せて生活などに関する相談・助言、健康状態の確認等を実施する。

・自宅にホームヘルパーが訪問し、生活機能向上のための運動や活動を実施する。

・民間事業者、シルバー人材センター、ボランティア等による栄養改善のための配食や自立支援のための安否確認等。

 

地域によっては、すでにこのような取り組みが自然発生的に行われているところもあるのではないだろうか。

 

ただし、介護に長年従事している者であれば、介護予防はの支援は、予防給付として、専門家がサービスを提供したほうが良いと考えるのは当然であろう。だが、将来を見据えた時に、財源の確保、人材確保が困難な状況を迎えることは事実だ。

 

だからこそ、今ここで、専門家(プロ)が地域に出向き、この地域における互助やインフォーマルな支援をする人々や、シルバーサービスの人々に対して、介護技術を身につけて頂くようにすることも大事なのではないかと思う。

 

皆様も周知のごとく、平成27年(2015年)は「団塊の世代」が65歳を迎える。少子高齢化が進む中でも、この問題が注目されたのは、ずいぶん以前のような気もするが、2015年は目前である。

 

予測では、2015年の高齢者は3,395万人で、この「団塊の世代」が75歳以上となる37年(2025年)には3,657万人に達すると見込まれている。その後も高齢者人口は増加を続け、「団塊の世代」が92歳以上となる平成54年・・・というか、もう西暦が良いであろう。2042年には3,878万人でピークを迎え、その後は減少に転じると推計されている。

 

私自身も、あと、10年もしないうちに65歳である。皆さん自身は、どの段階で高齢者の枠に入るのだろうか。

 

こうなると、もはや高齢者の問題は、他人事ではない。一時の感情に振り回されるのではなく、少子高齢化の中、どうしたら、自分の老後を自分らしく生きていくのか。そろそろ、「介護する側」の視点だけではなく、「介護される側」の視点からも、しっかりと考えるころではないかと思う。高齢社会は、元気がなければ、元気な「自分より高齢な」お年寄りにおむつ交換してもらわなければならない時代である、お金だけはなく、介護される側には心掛けも必要なのだ。

 

(つづく)