強運・開運神社

神社名 INDEX

【伊勢国】

 1)皇大神宮(こうたいじんぐう)

 2)椿大神社(つばきおおかみやしろ)

 

【尾張国】

 1)眞清田(ますみだ)神社

 

 

【越後国】

 1)彌彦(いやひこ)神社

 

【津軽国】

 1)岩木山(いわきやま)神社

 

【常陸国】

 1)鹿島(かしま)神宮

 2)大宝(だいほう)八幡宮

 3)吉田神社

 4)息栖(いきす)神社

 5)御岩(おいわ)神社


【武蔵国】

 1)氷川大社


【相模国】

 1)箱根神社

 2)寒川神社

 3)伊勢山(いせやま)皇大神宮


【出雲国】

 1)須佐神社

 2)日御碕神社

 

【上野国】

 1)鷺宮咲前(さぎのみやさきさき)神社

 

【下総国】

 1)香取(かとり)神宮

 

【安芸国】

 1)厳島(いつくしま)神社

 

伊勢国

〇皇大(こうたい)神宮

 

正式名称は「神宮(じんぐう)」である。他の「〇〇神宮」とは違い、単に神宮といえば、内宮(ないくう)外宮(げくう)の二宮を指している。

 

もろもろの理由で、現在の地に鎮座あうるまで、各地を遷座し、現在の伊勢神宮(内宮)に鎮座したのは垂仁天皇25年とされる。あまり本格的に神宮の説明をしていくと膨大になり過ぎるし、本格的な問題から、SF的(トンデモ本的)な問題まで幅広く存在し、神社神道の根幹的な問題まであるので、できる限り適度な範囲に収めておきたい。

 

神社本庁の本宗であり、神階が授与されたことのない神社(授与する側)であり、伊勢神宮石清水八幡宮(かつては宇佐八幡宮)は皇室の宗廟とされているのだ。

 

ちなみに伊勢国一の宮は、椿大神社(つばきおおかみやしろ)と都波岐(つばき)神社されるが、本来は二の宮とされる多度(たど)大社が、事実上一の宮であったとされる。

 

《御祭神》

・天照坐皇大御神 (天照大御神:アマテラシマススメオオミカミ)

 

《所在地》

・三重県伊勢市宇治館町1

 

《備 考》

武家が勃興し、徳川幕府が瓦解するまでの間、必ずしも最上位として扱われていたわけではなく、単なる「皇室の氏神」であったため、苦しい時期もあった。在位中の天皇として明治天皇が初めて参拝した明治期から、第二次大戦の敗戦まで、すべての神社の上に位置するとして社格付与の対象外であった。大戦以後は、宗教法人神社本庁が発足し、全国神社の本宗となった。

 

昨年(2015年)、原則として20年ごとに行われる式年遷宮(定期的に行われる遷宮)が行われた。

 

《ホームぺ―ジ》

http://www.isejingu.or.jp/index.html

 

 

椿大神社(つばきおおかみやしろ)

 

いや~、やっと出たという感じ。数ある猿田彦系神社の中でもトップクラスであろう。

 

明治期に内務省神社局の調査によって、いちおう猿田彦大本宮とされている。いちおうというのは、全国にある猿田彦系の神社で、ここの神社と関連のある神社が少ないからである(笑)。

 

他の伊勢国にある、猿田彦神社や都波岐神社も、猿田彦大神の子孫が神職とされ、どこも由緒ある神社で有り、どこが本流とは一概には言えない。なんせ神代の話ですから。

 

社伝では、倭姫命に下った神託で「道別大神の社」を大神の墳墓付近に社殿を造営したのを創始とするそうな(垂仁天皇27年)。そして、都波岐神社とともに伊勢国一の宮とされている。そう、伊勢神宮は一の宮ではないのだ。

 

この、伊勢平野を見下ろす鈴鹿山系の中央にある「入道ヶ嶽」「椿ヶ嶽を天然の社(現在は奥宮)としており、倭姫命の神託で、太古より修験道的に祭祀されていた大神を御陵の「御船磐座」付近に来て頂き、こりゃまた所縁のある瓊々杵尊(ニニギノミコト)と栲幡千々姫命(タクハタチチヒメノミコト)を相殿の社殿を造営・奉斎した神社である(日本最古とも)。

 

三重県では、伊勢神宮二見興玉神社(これも猿田彦大神!)についで参拝者数が多い。修験道の開祖とされる、大神の末裔・行満大明神(役行者を導いたとも)が中世の修験神道の中心となった(現宮司も行満大明神の末裔)。

 

ご利益は、方災除け・厄除け・家内安全・無病息災・交通安全は得意中の得意。進学・就職などの開運への御導き、恋愛成就・旅行安全などオールマイティでなんでも来いの神社ではあるが、どんな人でも受け入れるという感じではない。

 

厳しいというわけではないが、それなりの気持ちを持って(修験道系ですから!)参拝すれば、こりゃ凄いというお力をお貸し頂けると思う。境内には天之鈿女命(アメノウズメノミコト)の別宮・椿岸神社などがあり、参拝しがいがある。

 

《御祭神》

・猿田彦大神(サルタヒコオオカミ)

 

《所在地》

・三重県鈴鹿市山本町字御旅1871

 

《データ》

・延喜式式内社(名神小社)

・旧県社

・現在、別表神社

 

《備 考》

ちなみに、風水師の方や占い師等の方々もお勧めの神社ではあるが修験道的要素をいまだに維持しているため、「あそこに入ると良い」「あそこに行くと運気が上がる」と言われても、現在入れない場所も多々あり、当所に限らず、ご神域はその点に留意して行かないと「神をも恐れぬ行為」になりかねないので注意が必要である。

 

《ホームページ》

http://tsubaki.or.jp/

尾張国

〇眞清田(ますみだ)神社

 

こちらは物部氏の製鉄の神+太陽神・饒速日命(ニギハヤヒノミコト)、それに尾張地方の祖神+尾張氏の別の太陽神・天火明命(アメノホアカリノミコト)の神々様の習合の社とでもいうべき社であろうか。

 

もともとが同族ではないだろう。物部氏は剣がシンボルは剣。尾張氏は鏡がシンボル。

 

饒速日命は、北九州地方から東遷の際に、物部氏を随伴し、さらに丹後の一族と結合(海部氏)、何代目かの天火明命(アメノホアカリノミコト)を襲名後、ヤマトに入り、縁組しているのかもしれない。

 

この尾張には、一の宮は、真清田神社と(尾張の)大神(おおみわ)神社がある。二の宮・大縣(おおあがた)神社は、天津彦根命あるいは少彦名命がご祭神。三の宮は、熱田神宮である。これらは、エライ順と言うよりも、国衙からの距離(近い順に若い番号)で番号がふられたと考えられる。

 

尾張(愛知)や美濃(岐阜)は、歴史的に見ても陸路の交通の要所であったため、各種神様がどんどん習合していると思われる。

 

しかし、物部氏でも。古代の氏姓制度で「連」(むらじ)であり、尾張氏はその下の「直」(あたい)である。これは元々のその地域の氏族とは言えないということ。真清田神社との関係を示す文献や伝承は(今のところ)は残って居ない。

 

中世末期から江戸期においてのご祭神は「国常立尊」説が根強かった。明治期も、天照大神・月夜見神・大己貴神・大竜王神を合わせて5柱。

 

国常立尊信仰は、近江国辺りでも多く見られるものえあったが、良くも悪くも、明治期神社制度が確立する時点で絞られ、現在の尾張氏の祖神・天火明命とされて今日に至る。

 

《御祭神》
・天火明命(アメノホアカリノミコト)

 

《所在地》
・愛知県一宮市真清田1-2-1

 

《データ》
・延喜式式内社(名神大社)
・尾張国一の宮
・旧国幣中社
・現在、別表神社

 

《備 考》
ここは岐阜の金華山を祖山として、境内にゆるやかにエネルギーが注ぎ込むように作られたパワースポットでもあり、御祭神の天火明命は、国土開拓産業守護の神である。したがって、仕事運出世運にとくにご利益がある。まぁ、お守りを見る限り、健康祈願災難除けも良さげである。


ちなみに、お守りは(どれを入手するか)迷った時は、とりあえず「交通安全」(とくに木札)がいいと思う。交通安全は、他者の能力や運転の他、いろいろな要素が絡み合うため、守るのが一番難しい。

 

そもそも、お守りが内容別に祈念しているというわけでもないのだ(笑)。だから、交通安全ができるお守りならば、なんでもできる。あとは色や相性(あ、これいい的)のほうが大事。目的がはっきりしていればそれはそれで手に入れても構わんのだが。

 

《真清田神社ホームページ》
 http://www.masumida.or.jp/

越後国

彌彦(いやひこ)神社

 

こちらもお付き合いの長い、素晴らしい神社である。

 

創建年代は不詳であるが、『万葉集』にも歌われる古社で、越後平野西部の弥彦山(634m)をご神体として山麓に鎮座(里宮)している神社だ。正門をくぐり、拝殿を見ると「ほぉ~」となる。

 

また、石上神宮(奈良県)や物部神社(島根県)と同じく、「鎮魂祭」を行う神社として有名である(弥彦神社の鎮魂祭は、4月1日11月1日の年2回)。11月上旬には、里宮の境内にて、菊祭りが行われている。

 

2015年、現在の社殿が再建されたのが大正5年なので、数えて100年目となる。なぜ再建したかと言うと、明治45年に大火で、本殿を始めほとんどが焼失したらしい。

 

すごくご利益のある、素晴らしい神様だが、得意不得意が極端にあるようだ(「火難除け」「道中安全」は不得意?)。でも気にするほどでもない。現在かなり神様もパワーアップされているからだ!(笑)

 

では何が特に良いかと言えば、産業発展・商売繁盛・五穀豊穣・厄除けである。その他、人間関係に関するもの、恋愛はもちろん、仕事などでの交渉力などもアップするという。

 

御祭神・天香山命(天香語山命:アメノカゴヤマノミコト)は、地名から伊夜日古大神(伊夜比古大神、伊夜彦大神)、手栗彦命、熊野高倉下(クマノタカクラジ)命、あるいは単に高倉下命とも称されている、大国主大神同様、多名である。これは多様な御働きがあることや、また「何代」かいっしゃる由緒ある名、という場合がある。

 

物部氏の祖神・饒速日命の子で、物部氏の祖・宇摩志麻治物部神社)とは異母弟にあたり、尾張氏・熊野氏の祖でもある。

 

弥彦山の山頂にある「奥の宮」は、御神廟とされ、天香山命とその姫神・熟穂屋姫命(ウマシホヤヒメノヒコト)の霊所である。ご神名がはっきりしていながらも、いろいろ謎があって、それも楽しいと思う。結局、真実はわからないのだから。

 

《御祭神》
・天香山命(アメノカゴヤマノミコト)

 

《所在地》
・新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦2898

 

《データ》
・延喜式式内社(名神大社)
・越後国一の宮
・旧国幣中社
・現在、別表神社

 

《備 考》
この神社、正式には弥彦(イヤヒコ)神社なのだが、地名が弥彦(ヤヒコ)になったため、弥彦(ヤヒコ)神社と呼ばれている。

 

御神体山の弥彦山へ登ることができるが登山ではややしんどい(笑)。そこで、車で弥彦スカイラインをうにうに上り、山頂駐車場に車を停めておく。そんでクライミングカーで崖を上に登り(弥彦山9合目)、あとは徒歩で奥宮(ご神廟)まで行くコースが最近の行き方である。

 

クライミングカーの山頂駅から、だいたい片道20分くらい。奥宮からの景色は絶景である。池袋のジュンク堂書店はまったく見えないが(笑)、眼下には、日本海が広がり、晴れていれば佐渡島もよく見える。

 

寺泊辺りの海岸線や信濃川、越後平野も一望できるのだ。もちろん、雨が降ったら最悪であるから、天気予報はよくよく見ておくべし。足腰の丈夫で、息切れしない方なら、ぜひぜひ一度は登ってくだされ!


《おやひこさま100年公式サイト》
 http://www.oyahikosama100nen.com/index.html

津軽国

岩木山(いわきやま)神社

 

青森県の岩木山の南東麓にある神社。旧社格は国幣小社である。戦後、新たに一の宮に相当する神社を選定した「新一の宮制度」では、津軽国一の宮とされている。

 

東北平定した坂上田村麻呂が岩木山大神(おそらく地主神)の加護を感謝し、山頂に社殿を再建(すでに祀られていた)した。その後、下居宮(おりいのみや=麓宮の現・厳鬼山(がんきさん)神社が建立され、山頂の宮は奥宮となったが、この時点でも、岩木山大神の祭神は詳細は不明。別天津神五代などの神々様を習合し、集団神(習合神)となり、やがては神仏習合の神様ともなっていく。

 

《御祭神》

・顕国魂神(ウツシクニタマノカミ)
・多都比姫神(タツビヒメノカミ)
・宇賀能売神(ウカノメノカミ)
・大山祇神(オオヤマツミノカミ)
・坂上刈田麿命(サカノウエノカリタマロノミコト)


《所在地》

・青森県弘前市百沢字寺沢27

 

《備 考》

寛治5年(1091年)、下居宮を十腰内地区から岩木山東南麓の百沢地区に遷座、その距離から多くの沢を越えた場所の意、百沢寺(ひゃくたくじ)と称し、現在の岩木山神社の元となっている。

 

神仏習合したため、岩木山の山頂の宮は、阿弥陀如来薬師如来観音菩薩の3つの堂が立ち、

真言宗百沢寺岩木山三所大権現と称した。

 

帝王(皇帝)の象徴である「北極星」を守護する、北斗七星の神の化身ともいわれ、仏教における四天王のうちの北方守護神(天部の仏神)の、多聞天(毘沙門天は同一神と
される)とされる。

 

ゆえに北方としての東北地方には、鬼門鎮護の毘沙門天が多く祀られている。しかし、この神様、本国インドにおいては財宝神(クベーラ)であり、戦闘には弱い神らしい(強いのその弟神)。だから財宝神であるがゆえに、岩木山大神は金運の神であるのだ。

 

江戸期は、津軽藩総鎮守となり、歴代の藩主の津軽為信・信牧・信義・信政らに篤く信仰され、岩木山の噴火でやたられた、社殿や楼門が造営・寄進され、いまの神社の社殿や社叢の陣容が整えられたが、明治期の神仏分離令により百沢寺が廃絶し、津軽総鎮守・岩木山神社となる。

 

現在では、青森県はもちろん、東北屈指のパワースポットとして人気があり、愛情運・金運・子宝運、そして運気向上の神様として信仰が篤い。個人的には、加えて神仏習合神として
のご神力か、邪気をはらう神社であると考えている。

 

《ホームぺ―ジ》

http://www.isejingu.or.jp/index.html

常陸国

鹿島(かしま)神宮

 

とうとう出ました。御祭神・武甕槌大神は、神代の昔、天照大御神の命を受けて香取神宮の御祭神・経津主大神と共に出雲の国に天降り、大国主大神と話し合って国譲りの交渉を成功させた。

 

神社創建は、初代神武天皇の御世。神武天皇はその御東征での窮地に、武甕槌大神の「韴霊剣」の神威により救われたという。これらの神恩感謝として、皇紀元年この地に勅祭されたと伝えられる。「神宮号」は、明治期に乱発されるまで、伊勢神宮の内宮と外宮、香取神宮の4社にしかおくられていなかった。

 

例祭は、毎年9月1日に行われ、12年に1度、午年、つまり今年(2014年)の9月御船祭も斎行された。 強烈なパワースポットとして語られることが多い神社ではあるが、『古事記』『日本書紀』には武甕槌大神と鹿島神宮の関わりについての記載はない。そもそも、「鹿島」自体が出てこない(香取は字が違うがいちおう出てくる)。

 

太古の昔から、鹿島大神=武甕槌大神とされていたわけではないのだ。というか、関わりはないだろうな(笑)。

 

『常陸国風土記』でいう御祭神「香島の天の大神(カシマノアメノオオカミ)」とは、経津主大神(香取神宮の御祭神)の「元神様」を指していると思われる(こちらもいろいろと癒合されてはいるが、鹿島神宮よりはわかりやすい)。


元来島信仰とは、応神朝以後、ゆるゆると関東に入って来た信仰と思われる。対する香取神宮は応神朝の匂いはあまりしない。

 

さて、この強大な神社のご神徳は、心願成就・家内安全・除災招福・商売繁盛・企業隆昌・旅行安全とそれはそれは幅広いのだが(佐藤は家内安全)、経験上、飛行機以外の交通安全はあまり得意ではないと思われるフシがある(笑)。まぁ、近くの〇〇〇・〇〇寺も同じであるから有名どころは、どこでも似たようものなのかも知れない。

 

《御祭神》

・武甕槌大神(タケミカズチノオオカミ) ※『古事記』では建御雷神。

 

《所在地》

・茨城県鹿嶋市宮中 2306-1

 

《データ》

・延喜式式内社(名神大社)

・旧官幣大社

・勅祭社

・現在、別表神社

 

《備 考》

ちなみに「八幡宮御縁起」では、「磯良と申すは筑前国、鹿の島の明神のことなり。常陸国にては鹿嶋大明神、大和国にては春日大明神、これみな一躰分身、同躰異名にて」とある。

 

福岡県の志賀島では、鹿島大明神(シカノシマダイミョウジン)、茨城県の鹿島神宮では、鹿島大神(カシマオオカミ)、奈良県の春日大社では、春日大明神(カスガダイミョウジン)であり、同じ神様として祀られているという。

 

ここでいう、磯良神(イソラシン)とは「阿曇磯良」を指しているようで、阿曇氏の氏神がなぜ藤原氏(というか中臣氏か)の氏神・武甕槌大神と同一神とされているのか。また、茨城県にある大生(おおぶ)神社も、鹿島神宮の元宮とされており、こちらは多氏で出雲大社とも繋がっているが、どう関わりがあるのか。

 

謎の多い神社であるが、そのご神力は巨大であるのは間違いない。だからこそ、各氏族が取り合ってきたのだろう。まぁ、効かない神様を取り合う者はいないからね(笑)。さすがは鹿島大神というべきであろう。

 

《ホームページ》

http://kashimajingu.jp/

 

 ○大宝(だいほう)八幡宮


白鳳時代の末期、文武天皇の大宝元年(701年)、藤原時忠が、常陸国河内郡へ下向の時、筑紫(大分県宇佐市)の宇佐八幡宮を勧請(神仏の分霊を請じ迎えること)して創建されたという。


《御祭神》

・誉田別命(ホンダワケノミコト/第15代・応神天皇)

・足仲彦命(タラシナカツヒコノミコト/第14代・仲哀天皇)

・気長足姫命(オキナガタラシヒメノミコト/神功皇后)


《所在地》

・茨城県下妻市大宝667


《備 考》

敢えて、今ふうに直せば、筑紫国とは、現在のほぼ福岡県に相当する九州北部の地域(やがて筑前国と筑後国に分けられる)であるから間違いと言える。

 

ご祭神の八幡大神とされる「誉田別命応神天皇)」ご自身は「筑紫国」(筥崎宮)生まれたが、実際に勧請した「宇佐神宮」がある大分県の地域は「豊後国」であり、宇佐神宮は、豊後国一の宮である。だから、豊後国の宇佐八幡宮(宇佐神宮)からの勧請であろう。


ただし、京都はもちろん、当時の「関東人」の感覚では、九州は遠くて、筑紫辺りまでしか都人(みやこびと)の藤原氏には区別がつかなかっただろう、ちなみに藤原時忠(藤原鎌足の玄孫らしい)。


ご神徳は、宝くじ当選祈願交通安全身上安全厄除病気平癒など、ほぼ「オールマイティ」と言える。


とりわけ、近年では、名前の大宝(大きい宝)にかけて、宝くじが当たるという信仰もあり、神社によれば、平成17年から宝くじの当選祈願をしており、祈願を受けた売場での高額当選は累計で1等3本など、総額獲得賞金30億円以上とのこと。


もちろん、その戦績も素晴らしいしあやかりたい(笑)が、神社の近隣にある保育園児たちが、お宮を前にすると「いつも守って頂きありがとうございます!」とみんなで挨拶しているのが素晴らしかった。これが地域に根づいた鎮守様の役割を果たすのだ。もちろん、程度問題はあるが。


《ホームページ》

http://www.daiho.or.jp/taskguide.htm

 

吉田(よしだ)神社

 

水戸市の中心地の南にある朝日山(と言っても小高い丘)の頂上に鎮座している。上まで車で行けるし、案内板は親切。駐車スペースも広い。遠くにイオンモールが見える(笑)。御祭神は、日本武尊がおひとり(神道的には1柱)である。

 

いわゆるヤマトタケルノミコトの東征神話との関わりがあり、ミコトの聖跡の岩(ここに腰かけ、お休みになったらしい)がある。武神の日本武尊を祀るが、『常陸国風土記』でこの水戸市あたり(那賀郡)にヤマトタケルノミコト伝説はない。平安期以降後付の話かもしれないが、茨城県の県庁所在地にふさわしい神社であり、鹿島神宮に次いで式年造営も行われただけのことはある。太陽の陽光がまぶしい、まさに朝日で輝く神社であった。

 

《御祭神》

・日本武尊(ヤマトタケルノミコト)

 

《所在地》

・茨城県水戸市宮内町3913−2

 

《データ》

・延喜式式内社(名神大社)

・常陸国三の宮

・旧社格、県社

 

《備 考》

 常陸国は、一の宮が鹿島神宮、二の宮が静神社、三の宮がこの吉田神社である。ヤマトタケルがご祭神であるので、自分がすんごい災いにあったせいか(?)厄除けが得意。また、勝運守護なども強いらしい。

 

《ホームページ》
http://www.yoshidajinja.jp/

 

○息栖(いきす)神社

 

社伝では、鹿島神宮の武甕槌大神(タケミカヅチオオカミ)、香取神宮の経津主大神(フツヌシノオオカミ)による葦原中国平定において、出雲大社の大国主大神(オオクニノヌシオオカミ)の指示で、東国へ同行・先導にあたった神とされている。


鹿島神宮・香取神宮・息栖神社で、いわゆる「東国三社」として信仰を受けている。鹿島神宮と香取神宮は、「なんらかの理由」で関東から畿内(京都や奈良ほか)に戻ってほしくない一族の神社なのでしょう(笑)。実際、そこから勧請した春日大社は「大社」でしかなく、「神宮」は送られていない。

 

これ(神宮号)が送られていれば良いのであれば、上賀茂・下鴨神社・石清水八幡宮も神宮号を送られていてもおかしくないのだが送られていない。

 

奈良で大きいのは石上神宮と橿原神宮ぐらいか。どちらも明治になってから送られているはず。本来、政権中枢にある一族には不要、つまり「宮」は御所以外は不要であったのだろう。この息栖神社も由緒ある神社だが送られてはいない。

 

さて、主祭神の久那戸神(クナドノカミ)は、ご利益は、『記紀』神話からみて、疫病・災害などをもたらす、悪神・悪霊の侵入を防ぐ神様であり、完璧な厄除招福・交通安全の神様である。
その上、 住吉三神(上筒男神・中筒男神・底筒男神)・天鳥船神(アメノトリフネノカミ)が相殿として祭られている。


ちなみに、塩土老翁神猿田彦神と同じとする説も多いが、いずれにせよこのかたが出雲の神々様の祖神ではないかと思われる。


島根県出雲市大社町修理免にある、出雲大社摂社出雲井社(出雲路社:いずもぢのやしろ)の案内板によると、


祭神  岐神

この神は勇武にして地理に明るく、大国主大神が国譲りの際、大神の命によって経津主神に随伴して諸国をめぐり 

不逞の者を平げ帰順せしめて天の下を統一せられた功神であります。


とある。そうか、この神様、武甕槌大神ではなく、経津主大神の同伴者であったのだ。


《主祭神》
・久那戸神(クナドノカミ/岐神:フナトノカミとも)
 ※「大祓詞」に出てくる祓戸大神(はらえどのおおかみ)のひとり、気吹戸主(いぶきどぬし)の説もある。

 

《所在地》
・茨城県神栖市息栖2882

 

《データ》
・国史見在社
・旧社格、県社
 
《備 考》
・東国三社参り(三社を詣でる事)をするとご利益三倍増(?)で、三か所でシールを入手しなければ完成しない「東国三社守」がある(神紋シール二社は別売)。三社目が香取神宮の場合はお守り、鹿島神宮の場合は木札、息栖神社は・・・何かあるとかないとかは不明(笑)。

・国史見在社(こくしげんざいしゃ)とは、『延喜式』に記載ないが、「六国史」(『日本書紀』~『日本三代実録』)に記載のある。いわゆる国史見在社で、格が高い神社とされている。「六国史」に出てくる神社は、ほとんど式内社であるが、通常は出てこない式外社のことをいう。
『日本書紀』では、黄泉津平坂(よもつひらさか)で、伊邪那美命(イザナミノミコト)から逃げる伊邪那岐命(イザナギノミコト)が「ここから先、雷神は来られんじぞ!(言霊?)」と言って投げた杖から、カプセル怪獣ならぬ神様、来名戸祖神(くなとのさえのかみ)が化生したとある。ここにウルトラセブンの原型をみないことはない。
(原文:時伊弉諾尊、乃投其杖曰「自此以還、雷不敢來。」是謂岐神、此本號曰來名戸之祖神焉。)
 
《神栖市観光協会ホームページ》
http://www.kamisu-kanko.jp/power/

 

 

御岩(おいわ)神社

 

茨城県日立市にある神社。けっこう山の中であり、車で行くしかない。日立中央インターから日立中央IC入口信号を右折(県道36号線)し、10分ほど山を登り、本山トンネルを過ぎて下り坂を降りたあたり、遠いぞ。

 

創建の時期不明らしいが、縄文晩期の祭祀遺跡の発掘されたり、『常陸國風土記』(721年)に「浄らかな山かびれの高峰(御岩山の古称)に天つ神鎮まる」とされている。まぁ『風土記』では神様vs国家権力という感じで、「神聖」というよりも、「やっかいな存在」として描かれていて興味深い神様もいらっしゃる。

 

古代から「ヤマト政権」は往往にして失礼な勢力であったのだが、奥宮のかびれ神宮の神様はは地元民にとってもやっかいな神様であったのだ(笑)。


御祭神は、国常立尊・大国主命・伊邪那岐尊・伊邪那美尊ほか、20柱に加え、御岩山総祭神188柱が祀られている。しかも仏様もいるから「なんでも」願いを聞いてくれる。

 

中世には山岳信仰が入り、神仏混淆の霊場となる。凄いのは、江戸時代には、バリバリの形式的神道好きの水戸藩の初代・徳川頼房公が、なぜか出羽三山まで勧請して、水戸藩の国峰としたという。

 

さらに光圀公(いわゆる水戸黄門)などの歴代藩主が参拝を常例とする祈願所であったという。いや~、かなり水戸から離れてますよ、ここ。そこに毎年来るらしいから、並大抵の信仰心ではない。


遺跡、祭事内容には古代信仰、あちらこちらに仏像があり、神仏習合色がはっきりと残っている。「神仏を祀る唯一の社」と標榜するだけあった、他の神社や寺には見られない独自の信仰形態である。

 

こういう神社のご利益云々はヤボかも知れないが、オールラウンドである。ただし、主祭神が純然たる神様の中の神様、国常立尊であるからして、人間界の細々としたお願いがわかってもらえるかは不明であるが。

ここでは「悪い気」を抜いてもらって、「良い気」を入れて頂くほうが良いかも知れない。だから、体調の悪い時や精神的に落ち込み過ぎて居る時にはあまりお勧めできない。まぁ好き嫌いが分かれ、参拝者を選ぶ神社かも知れないが、一度は行ってみたい神社である。

 

《御祭神》

・国常立尊(クニトコタチノミコト)
・大国主命(オオクニヌシノミコト)

・伊邪那岐尊(イザナギノミコト)

・伊邪那美尊(イザナミノミコト)

 他二十二柱


《所在地》

・茨城県日立市入四間町752

 

《備 考》

・ここは以前、茨城県日立市の大甕(おおみか)神社に伺った折り、熱心な地元参拝者の方とお話する機会があり、「茨城県なら泉神社と御岩神社がお勧めですよ」とのこと。泉神社は参拝後であったが、「御岩神社?」という感じであったが、機会を得て来てみると、確かに素晴らしい聖地である。

 

「正統派」(神社〇庁系な形式的神道好き)の方には神仏習合で、やや、特殊な神社だからお気に召さないかも知れない。

 

とは言え、平日び来ても参拝客が夕方までひっきりなしに来る。けっこう山の中で「こわい」感じがするのだが(笑)。群馬県の榛名山神社や青森県の岩木山神社に気がにている感じ。ほんとうに山の中にある。ここに来ると延喜式とは違う「信仰の価値観」があることが体感できる。

 

《ホームぺ―ジ》

http://www.oiwajinja.jp/

武蔵国

〇氷川(ひかわ)大社

 

皇居のおひざ元、武蔵国の一の宮。関東人は、大宮氷川神社(氷川男体神社)ともいう。

 

この神社も謎が多く、関東近辺の神社の争いで衰え、一時三の宮扱いになったり、中山神社氷川女体神社当社の三社合わせて、一の宮・氷川大社という話、ご祭神の変遷、出雲とは関係が見られないのに出雲系のご祭神であるなど、謎が満載だが、まぁそこまでは突っ込まない。

 

元々「氷川」という名前も、氷川女体神社のあたりを「水沼」と読んでいたことから来た。それが→「水河」「水川」「氷川」という誤字の変遷の可能性が高いと思われる。だから、島根県の斐伊川から来たという来歴は現状考えにくい。

 

神社草創期は、漢字文化の草創期でもあり、草書体からの読み間違いや単純な書き間違いが多く、400年ぐらいで、その国の文化圏も再構築されることもあり、紙では保存しにくい状況下ではしかたがないところであろう。

 

もともと、大伴系や物部系、地主神と祭神が融合していったものと考えられるが、この神社が関東で重視されて来たのは間違いない。圧倒的に関東にある氷川神社を見れてもわかる。なにしろ、正月三が日の初詣の参拝者数も毎年全国10位以内にはいっている。

 

祭神が誰であれ、関東の産土神としての地位はゆるぎないのだ。ご利益は、「出雲系」であることを前提にしてあるが、そもそも出雲系は出雲大社くらいしか、縁結びはあまり利かない。なぜなら、古代は個人の家同士や村レベルの政略結婚なのだ。恋愛など、一部を除けば、明治以後の風習である。

 

したがって、縁結びがいいとされる神社は「人間関係が良好なる」「誰かを呪う」など、人間関係関連がご利益と考えた方がいいかもしれない。

 

氷川大社は、知恵・創造力の増進は昔から言われている。「交通安全」「厄除け」「仕事運」「家庭運」対策があると思う。もちろん、そういう意味での「縁結び」もいいであろう。余談であまり宗教系の団体とかかわりがない神社とも言われている(笑)。

 

《御祭神》
・須佐之男命 (スサノオノミコト)
・稲田姫命 (イナダヒメノミコ)
・大己貴命 (オオナムチノミコト)

《所在地》
・埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407  


《データ》

・式内社の名神大

・武蔵国一の宮
・旧官幣大社
・勅祭社
・別表神社

 

《備 考》

・ここは「王道の神社」であるから、苦手という分野はあまりない。しかし、極めて得意という分野もない。「縁結び」に特化するなら、川越氷川神社のほうがいい。あちらはあちらで、複雑な「戦国時代」を経た神社らしいさが残るよい神社だと思う。

 

《ホームページ》
http://musashiichinomiya-hikawa.or.jp/

 

相模国

〇箱根神社

 

箱根神社、旧社格は国幣小社。かつては箱根権現三所大権現と称されていた。本来は、里宮も元宮も、単純に神山を中心として、箱根山塊の神々様を「箱根大神」として祀られていた信仰だろう。

 

神仏習合が進むと「箱根権現」として信仰されるのだが、本来は、風水的に富士山(神山山頂上に見える)の激しい「陽」の気を直接受けないように、神山で柔らかい「陰」にして、駒ヶ岳でその強力な気を受け取るシステムにしていたと考えられる。

 

里宮を開いたという万巻上人の話は、箱根の山岳信仰(箱根元宮)とは、あまり繋がっていかない。元宮とご祭神が全く違うし、元宮は関所跡のほうに駒形神社が里宮として存在しているからだ。しかも箱根神社の境内にもひっそりと駒形社があり、つまり違う神様なのである。

 

神仏分離後、祭神は「箱根大神」として、瓊瓊杵尊木花咲耶姫命彦火火出見尊の総称とされた。とは言え、ご三神とも、箱根自体にゆかりはない。その中で、彦火火出見尊は、神武天皇を祖父とし、日本神話の「海幸山幸」に登場する山幸彦(ヤマサチヒコ)とされる人物である。だから、山岳信仰と関連がないともいえなくはない。後々、海も制圧するわけだし(笑)。

 

この神社のご利益は、なんといっても「開運祈願」「心願成就」「道中安全」だろう。祭神自体は、おとなしく、やや地味な神様のように思えるが、そこはそれ、フットワークも軽そうだし、束ねている神々様の量が違う。だから「開運祈願」「心願成就」に対して、すばやく動いてくれる(気がする)のだ。ここが大御所の神様の神社とは異なる特長だと思う(笑)。

 

《御祭神》
・箱根大神(瓊瓊杵尊:ニニギノミコト、木花咲耶姫命:コノハナサクヤヒメノミコト、彦火火出見尊:ヒコホホデミノミコト)の3神の総称。

 

《所在地》
・神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80-1
 
《データ》
・旧国幣小社
・別表神社

 

《備 考》
箱根界隈の「都市伝説」として、某集団がこの山塊を根城にし、この神社を中心に「風の噂」を流し、それを実現させて、政権を脅していたことによる心願成就という噂がある。これも、頼〇の暗殺に失敗してから下火になったらしい。有名な「〇〇兄弟の敵討ち」などは当時の幕府(重臣)へのテ〇であり、純粋な行為というよりも政治色彩が強いと考えられる。

 

だから、参道にあっても一度も参拝したことはない。九頭龍神社は好き好きであるが、湖畔の社に行けるのならば、行ったほうが遥かに効く。知らない間に縁結びに効く神社になっていた。元々は確か金運向上であったと思うが、時代が変わり、参拝客層が、おじさんから若い女性に替わったのだろうか? 今でも金運神社として、愛して止まない社のひとつであるが(笑)。

 

《ホームページ》
http://hakonejinja.or.jp/

 

寒川(さむかわ)神社


2013年から、首都圏中央自動車道(茅ヶ崎JCT‐寒川北IC)が神社と相模川の間に並行して開通したため、神社への参拝途中に富士山が見えなくなり、ちょっと景観が落ちた。


古代には相模湾がここまで入り込んでいたらしいせいか、冬場は寒い。だから寒い川の(近くの)神社なのだろうか。日本で唯一の八方除専門(かけもちの所はある)の神社である。と言いつつも、八方除のバリエーションで、交通安全・商売繁盛・開運・縁結び、そうなんでもやってくれる。テレビや俳優視聴率祈願の神社としても有名らしい。


記紀には記載がない。神社資料は焼けて創建の仔細もご祭神名も不明であるが、雄略天皇の時期に奉幣を受け、727年に社殿建立の記録があり、朝廷からも崇敬されている。戦国時代には武田信玄からも崇敬されたという。それに何よりも、わが研究所草創期からの守護神の1柱なのだ(笑)。


《御祭神》

・寒川比古命 (サムカワヒコノミコト)

・寒川比女命 (サムカワヒメノミコト)


所在地》

・神奈川県高座郡寒川町宮山3916


《データ》

・延喜式式内社(名神大社)

・相模国一の宮

・旧社格、国幣中社


《備 考》

ご祭神については、八幡神、菊理媛、素盞嗚命、稲田姫尊、猿田彦神などが候補にあがっていたが、八幡神(心願成就)、菊理媛(祓い)、素盞嗚命(厄除け)、稲田姫尊(縁結び)、猿田彦神(道開き)の神であり、しいて言えば、猿田彦神が近いが、川岸はテリトリーではないから、素盞嗚命かな。まぁ、個人的には石切劔箭(いしきりつるぎや)神社や宗像大社と雰囲気が似ている気がする。


現在、神社が標榜しているご祭神名は、内宮(伊勢神宮)の末社に牟彌乃(むみの)神社から来ている。そこのご祭神が寒川比古命寒川比女命であることから、その説が採用されたという。


でもこの「寒川」は伊勢市にある外城田(ときだ)川の異名であるし、川の水が冷たくて、寒かったことから倭姫命が命名したものだ。確かに寒いのは似ているが、関係性はうすい思う。


それだから、とりえず寒川神社だから寒川大明神なのは仕方がない。ちなみに交通安全が絶対的に必要な「ひゃ~参謀」によると、ここの厄除けと交通安全は無敵らしい(笑)。


《ホームページ》

http://samukawajinjya.jp/index.html


 ○伊勢山皇大(いせやまこうたい)神宮

 

こちらには、意外と来る機会があります。相模国といっても横浜は、まぁ、DeNAベイスターズ(プロ野球)の本拠地もある(笑)。

 

ここに来て、こちらもいろいろあるがやっと盛り返してきた。さて、この神宮は、天照大御神を祭り、単に「皇大神宮」とも称されている。建は明治3年(1870年)と新しいが、旧社格は県社、横浜の総鎮守である。

 

《御祭神》

・天照大御神(アマテラスオオミカミ)

 

《所在地》

・神奈川県横浜市西区宮崎町64

 

《データ》

・社格等:旧県社・別表神社

 

《備 考》

ご利益はお伊勢さまだから、所持万端である。小高い丘の上にあって、一直線には来れないので、元気が良くないとなかなか来れない(笑)。

 

ここは、「関東のお伊勢さま」なのだ。なにしろ、日が照って暑い。境内には出雲大社大神神社の遥拝社もあり、神々様は仲が良いのも実感できる(笑)。〇国神社のように政治的に利用してはいけない。ほんとうに参拝が目的ならば別ですが、それならば自宅の庭や国会議事堂の近くにでも御霊を分霊して拝めばとりあえずはいい気がするが、なかなかねぇ・・・。

 

《ホームページ》

http://www.iseyama.jp/reserve/

出雲国

〇須佐神社

 とうとう、この神社の登場である。スサノヲ(スサノオ)伝説は多種多様であり、人気もある。名前も表記(素戔嗚尊など)も多々あり、素晴らしい神社もたくさんある。その中でも、ここは最大級に素晴らしい神社のひとつである。

 『出雲国風土記』須佐社であり、須佐之男命が各地を開拓した後に当地に来て最後の開拓を行い。自分の名前を土地につけて「須佐」と命名した場所なのだ。そして、自らの御魂を鎮めたとされ、須佐之男命の本宮といわれている。ここは、須佐之男命の子の八島篠命を祖とする須佐が社家を務めていらっしゃる。

 某・〇原さんが紹介したため、むちゃくちゃに知名度が上がった。素晴らしい神社だからねぇ、仕方がないか(笑)。

 当研究所のひゃ~参謀、大のお気に入りの神社でもある。昼時はだいたい、いらっしゃらないので、12:00~13:00は避けた方がいいと思われる。

 元来、厄除けが主であったのだが、ミー・・・いや、若い参拝者が増えたせいか、近来はかなりフレキシブルな願意をお願いできるようになった。とは言え、ご祈祷は本格的であり、正装・正座が基本である。なんせ、ご神職が全身全霊で祈願を神様に奏上してくれるので失礼があってはいけない(まぁどこの神社でもそうなのだが)。

 ちなみに、よけいなお世話かも知れないがご祈祷料は「お心ざし」であった(ひゃ~参謀の過去のご祈祷時)。

 ただし、場所的には立久恵峡の奥の奥なので、以前よりはバスの本数も増えたがタクシーも併用(タクシーだけではかなりの金額になる)しないといけないなど、出雲空港からトヨタレンタカーなど(個人的好み?)で借りるのが望ましいと思う。まぁ行ってみてくだされ。


《御祭神》

・須佐之男命(スサノヲノミコト)

・稲田比売命(イナタヒメノミコト)

・足摩槌命(アシナヅチノミコト)
・手摩槌命(テナヅチノミコト)(須佐家の祖神)


《所在地》

・島根県出雲市佐田町須佐 730


《データ》

・延喜式式内小社

・国幣小社

・現在、別表神社

・出雲國神仏霊場第十八番


《備 考》

 神社のご祭神名をみて思うのだが、手摩槌命が「須佐家の祖神」とされていることから、『古事記』などの話の筋から言っても、須佐之男命は、いまふうに言えば、稲田比売命の家系へ「婿養子」に入っているかも知れない。

 であれば、須佐之男命天照大御神天神)の弟でありながら、地祇(国津神)とされているのも理解できる。なにがどうであれ、やはり須佐之男命は素晴らしいのだ。


《ホームページ》

http://www.susa-jinja.jp/index.html



 ○日御碕(ひのみさき)神社

 

こちらも島根県の出雲国での特異(?)で素晴らしい神社の1社。ある意味謎も多い。経緯から見ると、スサノオノミコト(神素盞嗚尊)のための神社である(はず)。出雲大社から車で20分くらいうにうにとした道を行のだ。遠くに三瓶山も見えてなかなかの景色である。

 

日御碕灯台の近くには、あの、隠ケ丘(かくれがおか)があり、日御碕神社が管理している。隠ケ丘とは、国造りを終えたスサノオノミコトが魂を鎮めて場所(御陵とも言われる)とされているのだ。出雲大社の「祖神(おやがみ)さま」と言われ、スサノオの総本宮とも言われるが、歴史的にはこの2社は仲が良くないらしい(笑)。

 

陰陽道の影響なのか、御砂守などの特別なお守りもあり、ぜひぜひ行って頂きたい神社である。ご神徳は、厄除・縁結び・家運繁栄・交通安全・海上安全・殖産興業など多数。

 

《御祭神》

・天照大御神(アマテラスオオミカミ):下の本社/日沈宮

・神素盞嗚尊(カムスサノオノミコト):上の本社/神の宮

 

《所在地》

・島根県出雲市大社町日御碕455

 

《データ》

・延喜式式内小社

・国幣小社

・現在、別表神社

 

《備 考》

出雲国では、確かこの神社と佐太神社だけが、出雲大社の権力外の神社であり、京都の宮家の管轄であった(と思う)。さらに伊勢神宮が「日の本の昼」を守り、日御碕神社は「日の本の夜」を守れとの「勅命」を、神の宮は安寧天皇、日沈宮は村上天皇から受けた神社である。もとは対岸の小島の経島(ふみしま)に祀られていて、宮司さんしか行けないという。

 

佐太神社といい、この日御碕神社といい、いかにも神職にご神力が宿りそうな感じがする神社であった。

 

《出雲國神仏霊場公式ホームページ》

http://www.shinbutsu.jp/51.html

上野国

鷺宮咲前(さぎのみやさきさき)神社

 

この神社のロマンは、なんといっても、経津主大神が、健御名方神(タケミナカタノカミ)を追って、双方、上野国と信濃国の国境の荒船山のほとりにそれぞれに陣を行き、対峙し合った名残であること。これは、神話の神々様が「直接対決」した数少ない現場の史跡であるに尽きる。

 

《御祭神》
 ・健経津主命(タケフツヌシノミコト)

 ・大己貴命 (オオナムチノミコト)
 ・保食命  (ウケモチノミコト)

 

《所在地》
・群馬県安中市鷺宮3308

 

《データ》

・上野国神名帳従五位上
・吉田神祇菅領宗源宣旨正一位
・村社・神饌幣帛料供進指定社

 

《備 考》

現在の上野国一の宮・一之宮貫前神社の先の宮として崇められ、咲前神社が祀られる。以後、磯部郷前宮跡は、改めて香取神宮から経津主大神を勧請した。ご神徳は、除災招福・開運厄除・身体健全ほか。

 

《ホームページ》
  http://www.sakisaki.net/index.html

下総国

香取(かとり)神宮

 

御祭神経津主大神とは、出雲神話に出てくる神様。『日本書記』には出てくるが、『古事記』には鹿島神宮の武甕槌大神(タケミカヅチオオカミ)は出てこない。ちなみに『出雲国風土記』には布都怒志命(フツヌシノミコト)として出てくる。

 

神代の昔、天照大御神(伊勢神宮の神様)が日本の国を治めようと、天穂日(出雲国造家始祖)・天稚彦と使者を送るが大国主大神に従ってしまい頓挫。

 

そこで、高天原で神々様が集い、八百万神々様が口を揃えて推薦したが、この。その場にいた武甕槌大神(鹿島神宮の神様)が抗議したため、二神を出雲に派遣し、談合か脅迫かはわからんが、大国主大神を説得。二神は日本の国を平定して、天照大御神の元へ復命されたという神話。

 

物部の祀る神様か、忌部の祀る神様か、その他の神様を吸収したのかはわからないが、古代から関東地方でも有数の絶対的な神様である。物部や出雲の「経津主大神」とは必ずしもイコールではないかも知れないし、なくても構わない。鹿島神宮の武甕槌大神とともに、高天原の最強神のひとりであることは違いない。

 

《御祭神》

・経津主大神(フツヌシノオオカミ)

 

《所在地》

・千葉県香取市香取1697

 

《データ》

・延喜式式内社(名神大社)

・下総国一の宮

・旧社格、官幣大社

・神社本庁の別表神社(現在)

 

《備 考》

 香取神宮は、関東地方を中心に全国にある香取神社の総本社。茨城県の鹿島神宮・息栖神社とともに東国三社とも言われる。三社でそれぞれ配布している同じ「三角お守り」に、三社のシールを貼ると、すんごいご利益があるという(笑)。また、宮中の四方拝で遥拝される一社でもある。古来より、国家鎮護の神とされ、皇室の崇敬も篤く。『神宮』を持っている(明治期以前は、伊勢内宮・伊勢外宮・香取・鹿島の四社だけ)。

 

だから単純に重要拠点の神様だからというだけではないのだ

 

武神であり、平和外交の神様である。家内安全・海上守護・心願成就・縁結・勝運守護・交通安全・災難除けの神として信仰されている。

 

《ホームページ》

http://www.katori-jingu.or.jp/

信濃国

 

○御嶽(おんたけ)神社里宮

 

別名、木曽御嶽神社御嶽神社王滝口王滝口御嶽神社とも。ここで身を清めてから、木曽御嶽山頂上の奥社に参拝する。長野県側と岐阜県側からも登れるが、ロープウェイもあり、登山道もなだらかなので長野側から登る方々が多いようだ。

 

ここは、例の噴火(2014年9月)した御嶽山の長野県側にある里宮。噴火後、御嶽山の火山活動は低下したが、規模の小さな噴火は今後も突発的に発生する可能性は否定できない状態ではある(気象庁)。そろりゃそうだろう。

 

今回はたまたま仕事で通り抜けるときに計画的に立ち寄っただけだし、冬場でもあり、そもそも入山できなかったし、(「ひゃ~参謀」の)根性も怪しい。言い訳ばかり。

 

伝承では、木曽御嶽山頂上の奥社は大宝2年(702年)信濃国・高根道基が創建。延長3年(925年)白川少将重頼が木曽御嶽山へ登り、社殿を再建。里宮は文明16年(1484年)再建、文亀3年(1503 年)再興と記録にある。

 

おそらく、流行初めは、江戸幕府が庶民の巡礼を ガス抜きでホイホイ(?)認めるようになったあたりか。天明2年(1782年)木曽御嶽山黒沢口、寛政4年(1792年)に木曽御嶽山王滝口に登山道が開かれた。

 

むかしのジサマ、バサマたちが、よく、「六根清浄」(ろっこんしょうじょう:人間に具わった六根〈眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根〉を清らかにすること)を口ずさんでいたな。

 

今の旅行代理店のごとく、寺社が御師などに依頼し、《講》を編成し、軽精進潔斎による木曽御嶽山登山を奨励していた。その中で御嶽講(山岳信仰・講)もブームになって全国に広まった(帰りに「遊んで」帰る口実になりましたし)。今日は至ってはまじめに御嶽教の信者が参拝を欠かさないお宮である。 長野側からは意外と登りやすい山でなのですよ。

 

里宮・十二大権現・八海山神社・三笠山神社・田ノ原大黒天・頂上奥社(ちょうじょうおくしゃ)の各社殿から構成されている。

 

《御祭神

・国常立尊(クニトコタチノミコト)

・大己貴命(オオナムチノミコト)

・少彦名命(スクナヒコナノミコト)

 

《所在地》

・長野県木曽郡王滝村3315番地(王滝御嶽神社別殿)

 

《データ》

・社格等:旧県社・木曽総社

 

《備 考》

もともと件の大噴火以前から、山の神々様に噴火のうさばらしを収めて頂くための信仰であるからにして、「何に効く」神社というわけでもないだろう。でも、そこはそれ、いちおう交通安全家内安全商売繁盛として名高い。

 

神社では「交通安全」以外は基本的に《得意技》をあげてはいない(〇峯神社のように裏メニューがあるやも知れないが)のだが、延喜式のもとの弘仁式と同じくらいの由緒を持ち、ご祭神が「国常立尊・大己貴命・少彦名命」なのだ。まぁこれだけの神様なら、いくらなんでも・・・・であろう(笑)。

 

古来から火山鎮火の神様としては、「大己貴命」「少彦名命」の神々様と一緒なのは、「素戔嗚尊」よりも、「国常立尊」が多いと思われる。素戔嗚尊は、ヤマト政権との関わりで、『古事記』は西日本以外は未公開の可能性が高いので、『日本書紀』に合わせて、すり替えられたのではないかとも《妄想》している。

 

《ホームページ》

 http://www.ontakejinja.jp/index2.html

安芸国

 

〇嚴島(いつくしま)神社

 

教科書的(?)に書けば、古くは「伊都岐島神社」とも記され、全国に約500社ある厳島神社の総本社。ユネスコの世界文化遺産に「厳島神社」として登録されているであろう。ここも素晴らしい、また、謎にあふれている魅力的な神社なのだ。

 

社伝では、593年(推古天皇元年)にこちらの地方豪族の佐伯鞍職公が神託を受け、勅許を得て、市杵島姫命を祀る社殿を創建しらしい。社伝で、推古天皇云々というときはやや注意が必要かも知れない。諸事細かい理由もあろうが、勝手に考えてみた。

 

まず、その佐伯鞍職公は、厳島に来る前は、石鎚山(現・愛媛県)に関わっていた賀茂氏族とされる。石鎚山頂上に賀茂の祖先神を降ろそうとしたが失敗(のちに同族・役小角公が開山に成功)したらしい。この方も原始修験者なのだろう。修験者や行者の多くはその知識を活かして、山などに入り、鉱物資源を調査・発掘していた。そもそも、お坊さんなら托鉢で食べるのが本道の修行であり、人里離れる修行はありえないのだ。

 

また、厳島神社は「大聖院」が奥の院とされたり、「宮島の弥山」を奥宮として拝んでいるというが、全然そちらを拝んではいないのが不思議なのだ。地図でその厳島神社の拝殿に先に何があるか。適当に延長してみると、なんと石鎚山であり、石鎚山山頂もまた「弥山」と呼ばれているのだ。

 

また、厳島神社のお守りには「厳島大御神」とされている。「大御神(おおみかみ)」と称されている神様は、『古事記』でも、伊邪那岐(イザナキ)・天照(アマテラス)・迦毛(カモ)ぐらいと思われる。

 

のちに平家がここを押さえるが、「伊勢平氏」だから本拠地は、伊勢国(現・三重県)である。だから、清盛公以降は、ご祭神が天照大御神に代わっていても不思議ではない。まぁ、ご祭神に関しては結局詳細は不明。であるから、天照大御神宗像三女神という説もあることから、現在の市杵島姫命田心姫命湍津姫命でも、なんの不都合はない(笑)。

 

しかし、いろいろな興味はつきない神社である。ここの国宝の本殿、海上の大鳥居はやはり逸品。何度見ても飽きることがない。どこが「残念」なのかわからんて。

 

おっと、ご利益は、交通安全・試験合格・縁結びを全面に押し出してはいるがさて? むしろ、心願成就必勝祈願商売繁盛、または航海安全のほうが劇的に効くなぁという感じです(笑)。

 

《御祭神》
・市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)

・田心姫命(タゴリヒメノミコト)

・湍津姫命(タギツヒメノミコト)

 

《所在地》
・広島県廿日市市宮島町1-1

 

《データ》
・延喜式式内社(名神大社)
・安芸国一の宮
・旧官幣中社
・現在、別表神社

 

《備 考》
厳島神社の役割は、出雲大社と同じく、「厄を引き受けること」ではないか。だからこそ、わざわざ「流されやすい」のこういう場所に作られていると思われる。流されることで役割をお勤めになっているのではないだろうか。その優しさに胸が痛みます。

 

余談ふぁが、同じく広島県にある速谷神社(安芸国二の宮)・多家神社(安芸国総社)も延喜式の名神大社である。せまい範囲に三社も名神大社あるのは、安芸国は海・陸とも、重要な拠点であったことがわかる。古代の瀬戸内海に重要性はもちろん、街道(海道)で1番重要な道は「山陽道」であり、ヤマト政権(朝廷)と大宰府(外交拠点)をつなぐ重要な道であった。

 

ちなみに「日本三大弁才天」は、お隣りの大願寺である。

 
《広島観光ナビ》
 http://www.kankou.pref.hiroshima.jp/sys/data?page-id=5249